リアルモバイルPC
90年代の半ばアップルのノートシリーズPowerBookの主要モデルは重さが3キロ。
さすがに常時持ち運ぶ気になれない重さでした。
一方で、IBMの ThinkPadなどの小ぶりなウインドウズノートの機動性は、羨ましく感じられたものです。
PowerBookシリーズにもDuoシリーズという小ぶりなシリーズはあり、重さ2キロあったのですが、その軽量さと引き換えに、拡張性が大幅にスポイルされていました。
外部インターフェースはモデム/プリンタ共用のシリアルポートと別売の拡張用ドックに繋ぐ152ピンPDSコネクタのみ。
当時、ウインドウズのサブノートですら装備していたSCSIポートや、FDDドライブといったスロットをバッサリ削った断捨離軽量ノートでした。
これらのポートは、ビデオデッキくらいの大きさのステーションにドッキングさせるか、単体のSCSIアダプタ、フロッピーアダプタといった半月状のアダプタを用途別に購入して繋いで機能拡張するという宇宙ステーションのような使用スタイルでした。
また、画面はカラーではあるものの、8.4インチという、今では言うならiPad mini程度の窮屈なサイズ。
Duo単体でできることは限られていました。
モバイル=禅だった
当時のモバイルデバイスはDuoに限らず、無駄を削ぎ落として心の境地に至ることを目指す禅の世界に通ずる雰囲気を持っていました。
現にその頃大ヒットしたPDA、Palmは「Zen of Palm」という謳い文句で、ザウルスの対抗勢力となっていたほどです。
当時の製造技術では小さくする=限りなく単機能に近くなるということなので、禅はたんなる後付の概念とは思いましたが、マーケティング的には絶妙だったと思います。
ご多分に漏れず僕も、軽いPowerBookには憧れを抱いており、そのころの相棒で万能選手のPowerBook540cのサブとして、モデル末期のDuo280cをアキバでゲットしました。
禅は僕の日常ではなかった
普段遣いの540cが僕の日常とすると、限られたことしか出来ない、単体では拡張性を持たない、画面の小さなDuo280cを使っていると、京都の寺で座禅を組んでいるような境地になりました。使用するにあたり心構えが必要なのです。
Duo単体でできることはかなり限定的で、モデムを介して電話回線でパソコン通信にアクセスする程度です。
画面が小さいので画像加工やエクセルはしんどい。
まだまだインターネットがこの世を席巻する以前の時代、カラーなのに主にテキスト打ちモデルでした。
なので普通にモノクロノートPCなどもあった時代でした。
その反面で、ポート類が少なかったせいで、同じCPUスペックの540cより体感できる速さがありました。
無駄を削ぎ落とすことにより到達できる境地とでも言うのでしょうか?
例えば京都の禅寺、龍安寺にあるつくばい。
そこに描かれた4つの文字「吾唯足知(われただたるをしる)」という禅の教えを表しています。
今あるものに満足し、感謝の気持をもつことの大切さを説いたこの文字は、まさにDuoのポリシーそのものだったと思います。
しかしながら、どうにもこうにもなこの非日常マシン、Duo280cは半年ほどで手放してしまいました。
いつの日か機会があれば、このDuoをオークションサイトでまた手に入れたいと思っています。