関西随一の縁切り縁結び神社
僕は、京都が好きで、毎年1〜2回は必ず行くのですが、京都の観光名所の中でも、一風変わった存在感を放つのが、東山区にある安井金比羅宮です。
通称「縁切り神社」として知られ、悪縁を断ち切り、良縁を結ぶご利益を求めて、全国から多くの参拝者が訪れます。
安井金比羅宮は以前の記事でもちょっとだけ触れましたが、ここで詳しくご紹介しておこうと思います。
起源
安井金比羅宮の創建は、飛鳥時代、藤原氏の祖・藤原鎌足が子孫の繁栄を願い、藤の木を植えて「藤寺」を建てたと言い伝えられており、これが起源とされています。
その後「観勝寺」と名を改め、その藤をこよなく愛したのが崇徳上皇でした。
1156年の保元の乱で敗北した上皇は、讃岐国に流罪となってしまいます。
後に後白河法皇により正式に崇徳上皇を祀る神社となり、現在の安井金比羅宮に至ります。
縁切り
讃岐国に流罪となった崇徳上皇は、何度も京都へ戻りたいと願い出ましたが受け入れられず、上皇はやせ細って「人ではない姿」になってしまい、失意の中で二度と都の土を踏むことなく亡くなったのでした。
「縁切り」は主祭神である崇徳上皇が、人の世への一切の未練を断ち切り、現在もある金刀比羅宮の中に籠もり人の世への未練を断ってしまったことに由来します。
このことから、神社は「何かへの未練を断つ」、「断ち物の祈願所」として人々に信仰されるようになりました。
つまり「縁切り」とは、人の心を惑わす悪いものとの縁を断ち切って、すっきりとした状態にする、身を清めるという意味なのだそうです。
縁結び
また、安井金比羅宮は上皇の后の阿波内侍と過ごした場所。二人は上皇の流刑により引き裂かれてしまいましたが、上皇は自分と同様に相思相愛の人が引き裂かれてしまうことのないようにお護りしたことから、邪魔をする悪縁を絶って良縁を保つという「縁結び」のご利益があるのだそうです。
納得!最強のパワースポットだった
僕はこの神社を知ったのは、岐阜に単身赴任していた3年ほど前。
会社内が業容拡大に伴い、人間関係もギスギスしてきたことも相まって、そろそろ関東に戻りたいなと考えていた頃です。
近所の料理屋のご主人から安井金比羅宮のお話を聞き、京都巡りのついでにお参りをしてお守りを頂きました。
その後運良く転職が叶い、さいたまでの家族との生活に戻ることが出来たのです。
そして、今回のサラリーマン生活との決別。もちろん安井金比羅宮を訪れ祈願してきました。
お参りのポイント
1)まずは境内に入ると、筆ペンと短冊がおかれたコーナーが目に入ります。
幾つかのテーブルがおかれているのですが、結構な混雑ぶりです。
自分の周囲の環境を変えていきたい、神様にもすがりたいと願っている人たちがみなそれぞれの思いを込めて短冊に願い事を綴っている様を見ると、自分一人で悩んでいる場合ではない。現状に甘んじている場合ではないという気持ちになります。
自分が決別したい事柄、新しく結びたいご縁を願い短冊に書きましょう。
書き終わったら、100円ほどのお金を備えてある小箱に投入。
2)縁切り縁結び碑(いし):中央に穴の開いた巨大な絵馬の形をした石。
先程の短冊をこの碑に貼り付けます。貼り付けるチューブ入りののりがそばの机に何本も置かれています。
既に夥しい短冊が貼り付けられています。まさに祈りが凝縮されたスポットですね。
次にこの碑の真ん中に空いた穴を腹ばいになってくぐり抜けます。
悪縁を断ち切りたい場合は表から裏へ、良縁を結びたい場合は裏から表にくぐるのだそうです。
行列となっている場合が多く、短冊を碑に貼り付けるだけでもご利益はありました。
- お守り:縁切り、縁結びをはじめ、様々な種類のお守りが用意されています。
まとめ
関東ではあまり知られていないスポットですが、今回その起源を僕なりにまとめてみたところ、改めて安井金比羅宮が並ではないパワースポットであることがわかりました。
清水寺、五条坂などの名所からも程近く、是非街歩きの途中にでも訪れてみてください。
きっと新しい世界が広がりますよ。