Macintosh SE/30は、1989年に発売されたコンパクトなパソコン創世記のハイスペックマシーン。
小さな筐体に9インチモノクロモニタを一体化。当時としては高性能なプロセッMotorola 68030を搭載していました。
その時代はノートPCが世に登場する前だったので、7キロの重量物を専用のバックパックで担いで電車に乗っているコアなファンをごく稀に見かけたりもしました。
SE/30との出会い
2001年1月4日(お正月休み)に購入した記録がスケジュールソフト「Now Up-to-Date」に残されていました。(写真参照)
あの頃かなりオールドMacにハマっていて、まめに購入履歴をこのSE/30に入れいたようです。
この画面を見ると翌週にSEを買ったとありますね。続けてQuadra700などの名機をアキバ巡りでゲットしました。
購入場所はアキバのガレージセール。
駅前の大通りを一本向こうに入った、今ではメイドカフェの女の子たちが手招きしている裏通りの雑居ビルの1Fが駐車場になっている場所です。
土・日になると、色々なお店がビデオデッキ、ジャンクガラケー、デスクトップPCから抜き取ったHDDやビデオカード、メモリー、CD-ROM等々さながらジャンク大放出会場。
稀にオールドMac本体が並ぶという感じ。
なのでこのSE/30はさしずめ初売りの大放出品ような感じで、価格は2万円ちょいだったと思います。
全バラの儀
あの頃僕はオールドマックを購入すると、必ずバラして中の構造をしみじみと眺め、再び蓋を閉めるという変な儀式(?)を執り行っていまして、購入早々このSE/30もバラしてみました。
SE/30の筐体は、通常のドライバーだけでは開けられない特殊な構造になっていて、筐体のビスを外したあと「マックオープナー」という平たい金属製のヘラのような形状をした専用工具が必要。これはアキバのラジオデパートで700円くらいで購入した記憶。
これをSE/30の本体とリアカバーの隙間に差し込み、テコの原理を利用して筐体を開けるのです。さしずめ職人の道具です。
さてさて、オープナーでSE/30を開腹して、しみじみと眺めた内部構造はというと。。
重厚なガラス製ブラウン管式のディスプレイはソニー製。その下に小学生が使う下敷きのようなロジックボードとアナログボード。3.5インチフロッピードライブ。当時オプションだったハードディスクドライブもしっかり組み込まれていました。たかだか80MBくらいの容量にもかかわらず、これがまた巨大で、分厚い本一冊くらいのボリューム。一番下にずっしりと巨大な電源ユニット。
これらがコンパクトな筐体の中に効率よく配置されたさまは、さぞかし設計には苦労したんだろうなぁなどと想像力を巡らせ、エンジニアへの敬意の念を抱いたものでした。
それと、オープナーで開けた筐体の裏面には日本の金型メーカー、東北ムネカタ社の刻印があり、まさにSE/30は、当時の世界に誇る日本のモノづくりの賜物だったと云えます。
SE/30の魅力
(1)デザイン
コンパクトで洗練されたそのデザインは、ドイツのフロッグデザイン社が手がけたものです。同時代のフォルクスワーゲンゴルフも同社のデザインなんです。
よく見ると双方どこか雰囲気が似ていませんか?
(2)大容量メモリ
なんと!ロジックボード上に8つのSIMスロットがあります。
ここに 30ピンSIMMと呼ばれるタイプの16MBのメモリを8本刺すと、128MBまで認識するのです。
今のPCに例えると128GBメモリといったところでしょうか?完全にオーバースペックですね。
因みに僕のSE/30は三菱の1MBのメモリが8本刺さっていましたが、これでも当時のPCとしては十分すぎるメモリ容量。
進化が速かった当時のPC
発売時は高性能とはいえ、その時代のパソコンの進化は日進月歩。
入手した2001年当時はカラーモニタ化。CPUも68303〜68040〜PowerPC601〜603〜G3~G4と目まぐるしく進化。
おまけにインターネット興隆期でしたので、インターネットに繋がらないSE/30でできることは主に、前述の「Now Up-to-Date」でMac購入履歴管理。
加えて、当時のMacの標準ソフト「ハイパーカード」上で動くゲームソフトや簡単なデータベースを動かすことくらいでしたか。ちなみに「ハイパーカード」はWebブラウザやHTMLの設計に大きな影響を与えました。
シマシマック
さすがに35年も経ったオールドマック。その寄る年波には勝てず、数か月前からモニタが縞々となってしまうシマシマックの症状が現れました。
原因は電解コンデンサーの液漏れらしく、交換が必要なコンデンサは秋葉原のパーツショップで買い揃えました。
いつかまたはんだごてを握って修理をしようと考えています。
そしたらまた報告しますね!