雨の日に車をみがいて:男とクルマとそして女の物語
今回は車のお話その(2)、僕に人生とクルマについての楽しさを教えてくれた五木寛之さんの『雨の日にはクルマをみがいて』を紹介します。
この作品は、9話の短編集で、主人公の「ぼく」が次々に乗り換えた9台のクルマと、彼のまえを通り過ぎていった9人の女性たちとのほろ苦いエピソードを綴ったクルマ小説の名作です。
強く心に残る「バイエルンからきた貴婦人」
この小説集のなかでも第四章の「バイエルンからきた貴婦人」は何度も読み返した作品です。主人公が手に入れたBMW 2000CS、それに魅せられた謎めいた女性、朝霞圭子との出会いと別れが描かれています。
当時、日本にその台数も少なかったBMW 。手に入れたばかりのBMWをぼんやりと眺める女性に声を掛けたことがきっかけでドライブデートに。
ハンドルを握りながら得意げにうんちくを語る主人公。
しかしそのBMW 2000CSは主人公にとっては操り切れない、秘めたパフォーマンスをもつクルマだったのです。
それは二人が軽井沢へと行く碓氷峠国道18号線旧道。そう。頭文字Dに登場する何十年も前からの関東の走り屋の聖地。
僕も20代の頃ハチロクレビンで下道をとろとろ走って行きました。
主人公は軽快なハンドルさばきで前方のトラックを追い越したり、BMWドライバーの優越感に浸り旧道のカーブを飛ばすのですが、後方からトヨタ1600GTに煽られてしまうのです。
「もっとスピードを上げるのよ!貴方の運転は遅いわ!」知り合って数ヶ月、普段は大人しく助手席に座っている圭子が突然厳しい言葉を主人公に投げ「運転代わってくださらない!?」
とハンドルを握ると、後方で待ち構えていたトヨタ1600GTを手招きし、見事なハンドルさばきとシフトワークで、1600GTをはるか後方彼方に追い去ってしまったのです。
そして翌朝、軽井沢のホテルで目覚めた主人公。枕元には圭子の置き手紙。
かつて圭子が暮らしたドイツバイエルンで、歳の離れた恋人である医師の愛車がBMW 2000CS。
彼女は彼にそのクルマにふさわしいドライビングの手ほどきを受けていたのです。
どんなに優雅に見えようともドイツ人にとってクルマは道具。時には荒々しくムチを入れてこそ本領を発揮し、クルマもそれを待ち望んでいるのだと。
当時国産車とは圧倒的な性能アドバンテージのあった欧州車を単に憧れだけで手に入れた主人公の未熟さ、恋愛における切なさ、そして喪失感。
若い頃ってそんな経験しますよね。
時を超えて共感できるクルマとの人生
この作品の魅力は、主人公の若かった時代を通して、読み手が自分自身の過去を振り返り、人生の機微や切なさに共感できるところです。
時代背景は変わっても、若者が抱える悩みや喜びは普遍的なもの。
実は僕的も小説のような経験があります。
スカイラインR34-GTに乗っていた頃。
やはり朝霞圭子のような髪の長い謎めいた女性との一瞬の出会いがありました。
彼女は、ランチア・デルタインテグラーレのオーナーで、物静かなのですがクルマと向き合う姿勢がちょっと常人ではなく、ある日僕の未熟なドライビングセンス(つまりスカḠ乗っている割に平凡な運転)に圭子同様に「貴方の運転って、まるでサバイバル映画で最初に殺されちゃう人のようね!」という厳しい捨て台詞を残し、僕の眼の前を去っていったのです。
ドライバーはひとたび憧れの車を得たら、そのクルマに乗るにふさわしい運転をするべしなのです。
速い車を買ったら誰かにスペックを語ったり、満足感に浸っている場合ではなく、まず乗りこなさなければ、乗り手失格。
カーブの多い峠道のシフトワークやハンドルさばきだったり、ガンガン飛ばせる高速道路の追い越し車線での俊敏な加速だったり。
その技量差で助手席に誰が乗るのかが決まってしまうのです。「お前なんかこのクルマに乗る資格はないよ」とクルマと助手席に言われてしまうのです。
クルマからの人生へのエール
若い頃の甘酸っぱい思い出や、大人になるにつれての様々な失敗。。そしてそれでも前を向いて「雨の日だからこそクルマを磨こう!」と前向きに歩むことの大切さ。
五木さんの美しい文章と、車と女性への愛情が織りなす物語はまさに「人生に必要な事は車が教えてくれた」。。のかもしれませんね。