先日、中国深圳の日本人学校に通う児童が、朝の通学時途中に暴漢に刺され死亡するという、卑劣かつとても痛ましい事件が起きました。
6月に蘇州で日本人の母子が切りつけられた事件が起きた矢先です。
安全な街深圳で何故こんな事が起きたのか?いまだに信じられません。
親御さんも付き添われての登校途中の出来事ということで、悲しみも深くさぞ無念なことと思います。まずは亡くなられた男児の御冥福をお祈り致します。
僕の第二の故郷 深圳
15年ほど前6年間単身赴任したこの街は、僕の第二の故郷と呼ぶにふさわしい場所です。
深圳は、1980年代初頭に鄧小平が主導して始まった改革開放政策を契機に、目覚ましい経済発展を遂げ、現在では中国におけるハイテク産業の中心地となりました。
それまで人口数千人だった中国の南の漁村が、僅か30年足らずで一千万人を超える大都市になったのです。
ちなみに深圳市福田区にある蓮花山公園には、鄧小平氏の銅像が立っています。深圳の発展は鄧小平の改革開放政策によるものだということを市民の誰もが知っています。
僕も赴任当時会社のスタッフの女性から聞いたのですが、この銅像は市民から深く尊敬されており、銅像の前方の区域は、その銅像よりも高い建物を建てることが禁止されているのだそうです。
確かに、当時僕の勤務先はこの場所に近い高層ビルの群中にあったのですが、この一角だけがどーんと広大な平地で突き抜けているような場所なので不思議に思っていました。
他にも外資系高級ホテルや超高層ビルなど、最も高層ビルの立ち並ぶ区域です(上記写真を参照)。
これは、鄧小平の視界を遮らないようにするために都市計画法にも明記され法的にも保護されているのだそうです。
そして地方から集まってきた人々、外国から来た人々、深圳に住む人々はみなよそ者です。
日本人が色眼鏡で見られることもなければ、欧米人も街の中では中国語を喋っていました。よそ者がうまく溶け込んだ都市です。
若い人たちは飾り気もなく、バリバリと仕事をこなします。優秀な人達も多かったです。
中国の病理現象(あの頃)
中国では時々、発作のように民衆の攻撃の対象が日本人に向かうことがあります。
2012年尖閣諸島問題に端を発した抗日デモ。当時僕は深圳に赴任していました。
北京、上海、広州、成都、西安、蘇州、武漢など中国の多くの都市で数千人規模のデモが発生したのです。
当時の勤務先の広州、蘇州の事業所でも会社設備の破壊行為が行われました。
もちろん深圳でも大規模なデモはあったのですが、市内で日本料理屋が破壊されたり日本人が危害を加えられたということもなく、まさにデモンストレーション、単なる行進であっさり終了しています。
また、あの年はデモに限らず、日本人への理不尽な扱いを僕も経験しました。
例えば街角で「小日本(しゃおりーべん)」という日本人への侮辱的な言葉を投げられたり。
タクシーで運転手からお釣りを投げつけられたり、といった侮辱的な扱いをされてことが幾度かあったのですが、どれも深圳以外の出張先での出来事でした。
深圳はあの頃も中国の中でも懐が深く、考えかたも先進的で、意識的に成熟している人々が集まる大都会でした。
中国の病理現象(現在)
先月8年ぶりに深圳に出向いた際、現地の昔の知人たちから、社会、とくに現在の経済の停滞への不満の声を度々耳にしました。
貧富の格差拡大、汚職、環境問題、言論の自由の制限など、様々な問題が中国には存在します。
これらの問題に対する不満は、時に政府への批判へとつながる可能性があります。
しかし、中国では政府への直接的な批判は厳しく制限されているため、人々は不満を表明する手段がありません。
このところの不動産不況、雇用不安など暮らしへの先行きへの不安が、このような理不尽な事件が連続する温床となっているとの指摘もあるようです。
今回の殺傷事件を起こした犯人がどのような動機を持っていたのかは今のところ明らかにはなっていません。
中国側も積極的な報道姿勢は控えているようです。
国民に届く情報は未だにオープンではないのです。深圳市民ですらこの事件を知らない人たちがいるというほどですし。
実感として中国人は日本人に親しみを感じている
しかし、すべての中国人が反日的でではありませんし、中国が治安の悪い危ない国ということでは決してありません。
多くの中国人は、日本との友好関係を望んでいますし、日本人にはとても親切です。
日本の伝統や文化に対して、リスペクトの念を抱いている人たちが多くいます。
単身赴任時、僕のアパートの部屋の電気系の修理に来たおっちゃんが「さすが日本人だね。部屋をきれいに使ってるね!」と拳をグッドマークにして褒められました。
こんな話が枚挙にいとまがないのです。
深圳での6年間は、僕にとってかけがえのない経験でした。
この街で出会った人々、経験した出来事は、僕の心に深く刻まれています。
日本に戻った今でも、深圳への想いや当時お世話になった中国の人たちへの感謝の思いは変わりません。
今日のニュース報道で、現場の通学路に花束を手向けた男性が「深圳はオープンで安全な街だ。今回の事件が日本と中国の関係に悪影響を及ぼしてほしくない。」と語っている姿が印象的でした。
また、校門に捧げられた花束には中国語で「坊やごめんなさい。天国で安らかに眠ってください。」と書き添えられたショットも目にしました。
また、ある中国人女性は涙を流していました。
見ず知らずの子供をいたわる、こんな優しい気持ちを持った人たちが深圳に昔からはたくさんいるのです。
また、今日お会いした中国の実業家の方のお話ですと、昨晩新宿で中国人のお仲間との会食が持たれた際にこの事件の話題となり、お店を経営している方々は今晩は店先に追悼の灯篭を灯そうということになったそうです。
因みに中国現地ではこうした行為は厳しく規制されてしまうとのこと。
この数十年で、国民の心と国の体制が大きく乖離してしまったような気がしています。
元深圳駐在者の一人として、亡くなられた男の子、ご家族の方に深く哀悼の意を捧げたいと思います。