秋葉原、都内で時間を持て余したとき、ついでに立ち寄るお決まりの場所です。
30年ほど前からマックユーザーになり、長年Macのお店やジャンクショップ巡りを趣味としていました。さすがに今では秋葉原も萌え系の街に変容して久しく、かつての電脳系の街という雰囲気は薄れてきたのですが、ついつい立ち寄ってしまう場所です。
PowerBookで振り返るアキバ
先日、PowerBook540cを久々に起動しました。1994年に発売されたMacのノートブックです。
PowerBookで秋葉原巡りアプリ「こさぴーの秋葉マップ」を開いて、当時の秋葉を振り返ってみました。2000年頃のバージョンのようです。
この時代のノートPCの宿命で、液晶がビネガー症候群を患い偏光板がボロボロになっていますが、とりあえずは見れます。
90年代後半にニフティサーブで配布されていたFileMaker Proというデータベースソフトでまとめられた当時の秋葉原のPCショップリストです。
当時秋葉原を巡回していたコアなマックファンの方々が、各ショップに品揃えとかお値段とかいろんなコメントを添えている楽しいアプリなんですが、この時代のバージョンFileMaker Pro2.0で作られており、なんと現在のバージョン20との互換性がありません。
つまり古いMacでしか見れないのです。
僕が初めてPowerBookを買った個人経営のお店にはこんなコメントが入っていました。
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この店で変に通ぶるとオヤジに「でていけ!」と、言われるので秋葉初心者は注意しましょう!でも、こないだアップルの先代20インチマルチスキャンモニターをオヤジと口論の末!5万でゲット出来たので「とても良い店です」としましょう。
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この時代の個人ショップは、昭和のラーメン屋みたいな気風が色濃く残っていたものです。
この頃の秋葉原のPCショップやエレクトロニクスパーツのショップは約250軒ほどあったようですが、以降萌え系の街に変容してしまった秋葉原。現在は50軒ほどになっているようです。
移ろいゆく時代と寂しかった頃のApple
この頃隆盛を極めていたものの、今は廃業してしてしまったお店がたくさんあり、中でも思い出深いお店がTZONEでした。
当時は 秋葉のランドマーク的な存在で、現在はドンキホーテ秋葉原店が入るビルの8階全てのフロアをPC関連製品で埋めていました。
僕もここで、特値で出ていたPowerBook Duoをゲットしました。
この頃、ウインドウズ95を皮切りに、以降98もそうでしたが、新しいパソコンのOSが発売されるとカウントダウンイベントが行われていました。
そしてMacでも。。98年10月、Macの新しいOS 「Mac OS 8.5」の発売カウントダウンが秋葉原の有力PCショップで行われたのです。僕は当時この記事を雑誌「Mac Fan」で読みました。
発売日の午前0時めがけて当時のアップルコンピュータージャパンの原田社長がこのOSの目玉検索機能シャーロックに引っ掛け、シャーロック・ホームズの衣装をまとってT-ZONEのほかにソフマップ、ラオックス、イケショップ、ツクモなどのPCショップを回ったのです。
これは当時のMacが苦境に立たされていた時期に、原田社長が自ら陣頭指揮を執ってMaci復活をアピールする姿勢を示した象徴的な出来事でしたが、Macユーザーは極めて少数派です。
ひっそりとしたマニアックな深夜のイベントだったようです。
秋葉巡りの仲間
この時、ふとしたきっかけで長野県の風景カメラマンと知り合いになり、彼もコアなマックユーザーであったことから一ヶ月おきくらいに一緒に秋葉中古Mac巡りに出かけるようになりました。戸隠から夜行バスで都内まで出てきて、待ち合わせ場所は駅前のラジオデパートの地下1F。
幾つかのオールドマックのお店あり、気のいいおっちゃんがやっているお店で彼がゲットしたオールドMacでちょっと羨ましかったのが、Macintosh Plusです。
1886年に発売され初の日本語環境OS(漢字Talk1.0)を兼ね備えた日本のユーザーにとってはマイルストーン的モデル。
あの当時でもお店に並ぶことは滅多になかったのですが、それでも年に数度見かけました。でも何故かその時は買う気が起きなかったんですよね。明確な理由は無いのですが、なんとなく買ってもすぐ壊れるんじゃないかと。。そんな気がしていました。
それでも後年、PowerBookのコンデンサーを修理したりとかで復帰させたMacもあったわけですから、壊れたら修理すれば良かったのです。
そして、秋葉原でPlusを見かけることはなくなり。。遂にはMacintoshというモデル名が書かれたMacを見かけることも無くなってしまいました。
あの頃の秋葉原、そしてMacとの思い出は、色褪せることなく私の心の中に残っています。