先日、音楽プロデューサーの大巨匠、クインシー・ジョーンズが亡くなったとの報に接し、深い感慨に浸りました。
クインシーの作品を通して、僕の折々の人生は彼の豊かな音楽とともにありました。
ここでは、僕にとって思い出深い3つのアルバム、「オフ・ザ・ウォール」「スリラー」「バック・オン・ザ・ブロック」を通して、彼の音楽がもたらしてくれた感動を振り返りたいと思います。
高校時代:『オフ・ザ・ウォール』
1979年高校3年の頃、まだLPレコードだったマイケル・ジャクソンの「オフ・ザ・ウォール」を近くのレコードショップで少ないお小遣いで購入しました。
クインシーが初めてマイケルをプロデュースしたアルバムです。
当時流行していたブラック・コンテンポラリーミュージックを、新たな次元へと引き上げた傑作として高く評価されています。
ロッド・テンパートン、ポール・マッカートニー、スティーヴィー・ワンダーなどの豪華作家陣からの楽曲提供とともに、バックの演奏もクインシーファミリーの一流ミュージシャンを起用するなど、かなり高次元なクオリティ。
なかでも、タイトル曲「オフ・ザ・ウォール」「今夜はドント・ストップ」「ロック・ウイズ・ユー」は70年年代末のディスコブーム象徴する名曲です。何度も何度も繰り返し聴いたものです。
受験勉強どっぷりの高校3年当時、ややもすると陰鬱になりがちなその頃を、ダンサブルかつ突き抜けるようなサウンドで彩ってくれた青春時代の思い出のアルバムでした。
大学生時代:『スリラー』
その後大学に進学してからも、クインシーの音楽は僕のそばにありました。
大学生活最後の年の1983年、突然変異の如く現れたアルバム「スリラー」それは単なる音楽アルバムの枠を超えた社会現象だったと思います。
当時、それまでリスニングオンリーだったポピュラーミュジックの世界が一変。映像付きの楽曲を流す「MTV」という新しい音楽の視聴スタイルが浸透。
その象徴となったのがこのアルバムで、「ビート・イット」「ビリー・ジーン」そして「スリラー」この3曲のミュージックビデオはあまりにも衝撃的すぎて、数々のパロディ作品が出現したものです。
タイトル曲の「スリラー」の度肝を抜かれるようなストーリーのビデオもさることながら、僕的このアルバムの最高傑作は、なんといっても「ビート・イット」です。
エディ・ヴァン・ヘイレンのリードギターと「ウエスト・サイド・ストーリー」へのオマージュのあの独特なグループダンス。
これはいわばサウンドビジュアルの核融合、時代の炸裂だったんだとおもいます。
加えて、美しいバラード曲「ヒューマン・ネイチャー」のメロディラインは、今もなお僕にとっての最高の癒しのナンバーです。
クインシーはこの曲を万華鏡のようなハーモニーと讃えています。
まさにこのアルバムは、それまでのポピュラーミュージックを変革した一枚でといえます。
世界売り上げ枚数一億枚、不滅のギネス記録だそうです。
社会人駆け出しの頃:『バック・オン・ザ・ブロック』
1989年、社会人としてなんとか一人前になろうとしていた頃、クインシーはまたもや新しい衝撃作で驚かせてくれました。
このアルバムは、ジャズ、R&B、ヒップホップ、ゴスペル、ファンクなど、さまざまなジャンルを融合した多彩な音楽性が特徴で、世代やジャンルの壁を超えた革新的な作品として知られています。
そしてこのアルバムには、多くのアーティストが参加しています。
レイ・チャールズ、エラ・フィッツジェラルド、マイルス・デイヴィスといったジャズ界の巨匠から、ジョージ・ベンソン、アル・ジャローといったフュージョンプレーヤー。
チャカ・カーン、ディオンヌ・ワーウィックといったR&B女性ボーカル。
アイス・T、ビッグ・ダディ・ケインなどのラッパーまで。
幅広い世代やジャンルのミュージシャンが集結し、その多彩な才能を、プロデューサーとしてクインシーにしかなし得ない手法でまとめ上げ、音楽の融合の力を示した奇跡の作品といっても過言ではありません。
翌年のグラミー賞で、「アルバム・オブ・ザ・イヤー」を獲得の至極納得の圧巻の出来でした。
クインシーのこの3枚の傑作は、僕には単なる思い出のアルバム以上のものです。
彼の音楽によって、僕の人生のさまざまな場面が色づけられ、豊かになった感じています。
今まで、ありがとう!クインシー。安らかにお眠りください。