こんにちは。先日名古屋に出張した帰り、熱田神宮に立ち寄り、先頃ようやくスタートした僕のECショップ「パワエニ」の繁盛祈願をしてきました。
今回は、中京圏のパワースポット「熱田神宮」の概要と、神社内に残る「信長塀」についてご紹介します。
熱田神宮の歴史とご利益
熱田神宮は、約1900年前に創建されたとされ、日本神話に登場する英雄、日本武尊(やまとたけるのみこと)を主祭神としています。
日本武尊が持っていたとされる三種の神器の一つ「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」が熱田神宮に奉納されているため、熱田神宮はその聖地とされ、旅の安全や病気平癒、戦勝祈願、そして現在では商売繁盛など、幅広いご利益があるとされています。
草薙剣(くさなぎのつるぎ)
素盞嗚尊(すさのおのみこと)が、出雲国でのヤマタノオロチ退治の際に、ヤマタノオロチの尾の中から草薙剣を発見し、姉の天照大神に献上しました。
天照大神は、その草薙剣を孫の迩迩芸命(ににぎのみこと)に授けました。日本書紀によると迩迩芸命の曾孫が、初代天皇である神武天皇だとされています。
草薙の剣を含む三種の神器(他には、天照大神が天の岩戸に隠れた際に彼女を誘い出すために神具として活用されたといわれる「八咫鏡(やたのかがみ)」、同じく天照大神を誘い出す際に用いられたとされる「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」)は、その頃より宮中に置かれ、天皇の皇位とともに継承されていくことになります。
時を経て、第12代・景行天皇は、息子である日本武尊の勇猛な性格に相応しい、日本各地の征伐を命じます。
日本武尊は、草薙剣を持って蝦夷(えみし)征伐に遠征した際に、尾張に立ち寄り、尾張国造の娘である宮簀媛命(みやずひめのみこと)と結婚。
彼女に草薙剣を預け、伊吹山(岐阜県)の神の征伐に向かいますが、戦いに敗れ亡くなってしまいます。
日本武尊の后である宮簀媛命の手元に残された草薙剣はそのまま尾張の地に祀られる事となり、熱田神宮が建立。
時は流れて、草薙剣が再び歴史書(吾妻鏡)に上がるのが、平安時代の末期1183年壇ノ浦の戦いで平家が滅亡したときのことです。
このとき、敗北を覚悟した平家の二位尼が幼い安徳天皇を抱き、運び出していた三種の神器のうち大きな八咫鏡は船上に残し、草薙剣と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を抱き入水してしまいました。
但しこの時の草薙剣は宮中で祀られた形代(かたしろ=神霊が宿りやすいように形を整えたもの。平たくいうと神霊が宿った異次元のレプリカ)でした。
のちに勾玉は見つかりますが、草薙剣は見つかりませんでしたので、後年順徳天皇が伊勢神宮から贈られた剣を新たに草薙剣とし、今に受け継がれています。
神話の時代から現在に至るまで神聖なる剣・草薙剣は神聖なるがゆえに、天皇や宮司さえも実物を見てはいけないとされています。
現在、草薙剣は熱田神宮に本体が、形代が皇居「剣璽の間」に安置されています。
相殿神
熱田神宮には、主祭神の日本武尊とともに、相殿神として多くの神々が祀られています。
1. 天照大神(あまてらすおおみかみ)
日本神話の最高神であり、太陽の女神です。伊勢神宮の主祭神としても知られ、日本全体の繁栄と平和を象徴する神です。天照大神は日本武尊と血縁のある神として、また国を守護する神として祀られています。
2. 素盞嗚尊(すさのおのみこと)
天照大神の弟であり、勇猛な性格を持つ神です。悪霊や災厄を追い払う神とされ、特に厄除けや疫病退散のご利益があると信じられています。
3. 日本武尊の妃神である宮簀媛命(みやずひめのみこと)
宮簀媛命は日本武尊の妃で、夫である日本武尊の死後もその霊を敬い祀り続けたとされています。宮簀媛命は家庭円満や縁結びのご利益があるとされています。
4. 建稲種命(たけいなだねのみこと)
建稲種命は日本武尊の側近であり、彼の死後に草薙剣を熱田神宮へ奉納したとされる人物です。信義や忠義を象徴する神として祀られています。
これにより、神社のご利益が幅広くなり、様々な祈願を受け入れる神社としての役割が強まります。
信長塀の歴史的背景
神社の境内に入ると、ひときわ目を引く「信長塀(のぶながべい)」と呼ばれる美しい壁があります。
この塀は、戦国時代に織田信長が桶狭間出陣のおり、熱田神宮で必勝祈願を行っており、見事大勝利したため、その報恩として奉納したものです。
信長の軍勢はわずか二千、対する今川軍は二万五千。誰が見ても勝ち目がないこの戦。
信長の家臣が記した一次資料「信長公記」によると、信長が義元の布陣する桶狭間に近づくと天候が変わり、霰(あられ)や雹(ひょう)がまじった激しい雨が降り出し、今川軍は慌てて散らばってしまったので、織田軍の接近を察知できませんでした。
織田軍は「この合戦は熱田大明神の神慮による戦いだ!」と奮い立ったのです。
まさに熱田神宮が信長にパワーを与えた瞬間!
千載一遇のチャンス信長軍は一気に奇襲をかけ、義元の首級をあげたのです。
ちょっと前の言葉で言うならば「神ってる!」とでもいうのでしょうか。まさに歴史が変わった瞬間でした。
信長塀は、戦火の中を耐え抜き、現在までその姿を保っています。
この塀は日本の伝統的な建築技法「三和土(たたき)」が用いられており、土と瓦を交互に油で塗り重ね、まるでミルフィーユのような美しいデザインが特徴。
神仏を信じない信長が唯一、熱田神宮だけは信仰し、どれほど熱田神宮を崇敬していたかを感じさせる造形物ですね。
パワースポットとしての魅力
熱田神宮は、境内全体に神聖な気が満ちていると言われ、多くの人が「パワーをもらえる」と感じる場所です。
広い神域の中には、心を落ち着ける静かな森や、豊かな自然が広がっており、訪れるだけでリフレッシュできます。
特に信長塀の近くは、戦国武将の強い意志が込められた場所として、力強いエネルギーが流れていると言われていますし、心を無にすると、そのエネルギーを感じることができます。
熱田神宮と信長塀は、歴史の中で多くの人々の祈りを受け止めてきた神聖な場所です。パワースポットとしてのエネルギーを感じながら、静かで美しいこの地で心を癒し、明日への活力をいただきましょう。
熱田神宮を訪れることで得られる心の安らぎとパワーは、日常生活において大切なエネルギー源になることでしょう。