こんにちは!前回の投稿からちょっと間が空いてしまいましたが、大学生の息子同行で10日間ほどお店の仕入れで香港〜中国深圳に出かけてきました。
息子は大学を休学中で引きこもりがちでしたが、活力溢れる深圳の街で、かつて僕が駐在していた頃からの信頼してきた多くの人々に出会ってパワーを分けていただいていたようです。
この旅で驚くほど前向きな変化を見せてくれました。
今回の旅で僕は改めて深圳はただの都市ではなく、人の心にエンジンを掛ける不思議な力を持った場所だと実感しました。
今回は「都市そのものがパワースポット」という視点で、深圳の魅力とともに、私たち親子が感じたエネルギーについてもお伝えします。
漁村からハイテク都市へ—深圳の変容の軌跡
1979年に経済特区に指定される以前の深圳は、のどかな漁村でした。それが経済改革によって世界の工場へと成長し、現在ではIT産業の中心地として「中国のシリコンバレー」と呼ばれるまでに発展しました。
深圳の成功の象徴と言えるのが、1992年に鄧小平が行った「南巡講話」です。この講話は、改革開放政策を加速させる大きなきっかけとなり、深圳を中心とした経済特区が全国のモデルケースとなりました。
鄧小平の「先富論」(一部の地域が先に豊かになり、その後全体を豊かにする)の理念は、深圳に集まる多くの移民労働者や起業家の原動力にもなりました。彼らの努力と情熱が、深圳のダイナミズムを支えています。
内陸部から集まる人々のパワー
深圳のもう一つの大きな魅力は、内陸部からこの街に集まってきた人々の力です。工場時代から始まり、現在のIT都市に至るまで、深圳の成長は多くの移民労働者や起業家たちによって支えられてきました。
山西、湖南、四川など中国各地の農村部から、多くの人々が夢を求めて深圳に集まり、工場労働者として働き始めました。そこから多くの人々がキャリアを築き、ビジネスやサービス業へ、さらにはIT業界へと進出していきました。
息子が変わった!深圳の活力が生んだ奇跡
10日間の出張中、私たちは商材の仕入れを進める傍ら、深圳のエネルギッシュな街を巡りました。
深圳の周辺都市(東莞・恵州)に出向いての商談や、いろいろなやり取りを通じて、息子は多くの活気ある人々に触れ、励まされ、次第に表情が変わっていきました。
特に印象的だったのは、深圳の起業家たちとの会話です。
自分の夢を語りながら現実的な挑戦を続ける彼らの姿と、未熟ながらも将来の夢を語る息子を真剣に応援しようとするアドバイスに、息子も「自分も何かやってみたい」と意欲を見せるようになりました。
中国でのLINE的な位置付けのSNSアプリ「We Chat」このいくつかのグループチャットにも息子を加えていただきました。
そして旅の終盤には、「パワエニの仕事を手伝う」と自ら申し出てくれたのです。
深圳の活力は、人を内面から変える力を持っていると確信しました。
会展中心界隈と羅湖界隈—都市のエネルギーを体感
深圳は福田区の「会展中心駅付近」の新しい深圳と、「羅湖(ローフー)駅周辺」の昔ながらの深圳に大きく区分されると思います。どちらも大都会ですが街の情景は対照的です。
会展中心界隈
未来都市の象徴ともいえる超高層ビルが立ち並び、特に夜のライトアップは圧巻。僕のかつての勤務先もこのビル群の一角にありました。
ここでは都市のスケール感と成長の勢いを全身で感じられます。
羅湖界隈
香港に隣接するこのエリアは、全国各地から人々が集まる活気のある場所。
かつては日本人駐在社のアパートや日本料理屋やクラブなどが密集していました。今はお店の数は半分くらいになってしまったでしょうか?
また、羅湖駅広場に構える巨大な羅湖商業城、ここでは商人たちの活気と交渉の熱気が街を包みます。
ここでは、街全体のエネルギーを肌で感じるものになりました。
深圳で得られる「パワー」とは?
深圳はただの観光地やビジネスの中心地ではありません。ここで得られるのは、「可能性は無限である」というエネルギーと、何か新しいことを始めたくなるパワーです。
息子のように、内向きになりがちな人でも、この街のエネルギーに触れれば自然と行動を起こしたくなるのかもしれません。
最後に
このように、今回の旅では改めて深圳は街全体を一つの巨大なパワースポットとして感じることができました。
息子にとっては、幼少の頃、妻に連れられて夏休みや春休みに私のアパートに遊びに来てはいたものの、今回大人になって都市の持つ活力に触れ、人生の新たな一歩を踏み出すきっかけが見つかったようです。
私たち親子にとって、深圳は人生に新たな風を吹き込んでくれた場所となりました。
Thank you to Shenzhen!