「よく乗ってるね」
初めて会う人に愛車の話をすると、だいたいそんなリアクションが返ってきます。
確かに、僕の車は2006年式のフォルクスワーゲン・パサート。もう20年近く前のモデルです。
この車を購入したきっかけは、当時仕事で中国(珠海市)に単身赴任しており、街なかを走る車の多くがフォロクスワーゲンで、タクシーはジェッタ、ちょっとハイソな人たちはパサートという感じでした。
たまたま取引先のお偉いさんがこの車に乗っていて、何度か送迎していただいたのですが、スタビリティが安定していて、特に高速道路の乗り心地に驚いた事を今でも覚えています。
そして、2006年に日本に戻り、海外赴任の帰任手当を頭金の一部にして、迷わず当時のパサート最終型を購入しました。
あれから20年、その後も何度か海外赴任があり、その間は妻が買い物程度にしか乗っていなかったため走行距離自体は7万キロと、年式にしては少ないのですが、いろいろな不具合を抱えています。
まず、後ろの左側のドアが開きません。修理工場に相談したところ、交換部品が絶版となっていて、修理できないのだそうです。それからナビはとっくに壊れていて、今はスマホをホルダーに挿してGoogleマップ頼り。
もちろん、バックセンサーなんて気の利いた機能はついてません。
カメラもないから、駐車は目視と勘。まるで昭和の車のように「五感」で運転しているようなものです。
でも、不思議なことに、このアナログな感覚がとても心地いい。
運転する楽しさを思い出させてくれる相棒
最新の車って、安全装備も充実していて快適なのですが、どこか「乗せられている」感じがするんです。
ステアリングも軽すぎて、運転しているというよりゲームをしてるような感覚になることも。
でも、パサートは違います。
ちょっと重めのハンドル。踏み込んだときに感じるエンジンの反応。曲がるときの微妙なボディの傾き。特に高速道路を走るときの車輪がピタッと道路に張り付くような安定したスタビリティと、ドイツ車ならではのミシリともしない車輌の剛性感。
昔のドイツ車って、やはり車体の剛性が高く、20年経ってもいわゆる“ボディのヤレ”を微塵も感じないんです。ドアを閉めるときの「バスン」という音や、路面の凹凸をいなすときのしっかりした感触にも、それは表れています。
全てがちゃんと「手応え」として返ってくる。運転してる実感があります。
自分の意思がちゃんと車に伝わってる気がするんです。
古い車って、時々不便ですが、機械と会話しているような、そんな楽しさがあるんですよね。
故障とうまく付き合うコツ
もちろん、古い車だからそれなりに手はかかります。
エアコンの排水ホースの劣化で助手席が水浸しになったり、パワーウインドウが閉まらなくなったり、そうそう、フロントの下回りの巨大なプラスチックのカバー(アンダーカバー)が
脱落したこともありました。(幸い走行中ではくて大事には至りませんでしたが)
また、最近はオイルの減りが早くて、こまめに継ぎ足しが必要です。
メンテナンスの度に「次、いつ壊れるかな」なんてちょっとドキドキもします。でも、それもまた一つの「つきあい方」だと思っています。
まるで長年連れ添ったパートナーとの関係のように、「あ、今日はちょっと機嫌悪いかも?」と感じられるようになります。
ゴールデンウィークのドライブ
そんな愛車と一緒に、今年のゴールデンウィークは群馬の館林にある「つつじが岡公園」へ妻とドライブに行ってきました。東北道は案の定の大渋滞。でも、渋滞の中でも自分の車と一緒にゆっくり走ってる時間が、なんだか落ち着きます。
目的地に早く着くことがすべてではなく、たとえ混んでいても道中を楽しむ。
それが僕流のドライブです。
ちなみに、つつじはちょうど見頃を少し過ぎていたけれど(笑)、それでも十分春の終わりと初夏の気配を感じられて満足。何より、20年選手のパサートが快調に走ってくれたことがとても嬉しかったです。
これからも、ゆるく、長く
正直に言えば、新しい車に乗り換えた方が燃費もいいし、快適ですし、安全性も高いのは間違いありません。けれど、僕はまだこの車を手放すつもりはありません。
古い車との付き合いって、まるで古い友人との関係に似ていると思います。
手はかかりますが、信頼できる相棒です。派手さはないけど、居心地がいい。
だから、これからもメンテナンスをしながら、関東近郊を中心に気ままなドライブを楽しんでいきたいと思っています。
「まだそんな車乗ってるの?」って言われることが、ちょっとした誇りなんです。