日々を彩るエネルギー 

小さな力を感じながら、ゆるやかに前に進む。そんな毎日を気ままに綴っています。

スマホから紙の新聞に回帰

今日は新聞のお話をしてみたいと思います。

 

■ 若い頃から朝日新聞一辺倒

 

僕が大学時代(1980年代)、自宅最寄り駅の入り口に「新聞自動販売機」というものがありました。

確か1部50円だったと記憶していますが、毎朝この機械にコインを投入し、回転ハンドルを回して取り出した新聞を、電車内で4つ折りにして読みながら大学に通う──そんな“朝の儀式”で一日が始まったのを鮮明に覚えています。

 

1981年のアメリカの原子力空母「エンタープライズ」の佐世保入港阻止運動、北炭夕張炭鉱のガス突出事故など、戦後の残り香を感じさせるような事件が多く、当時の新聞記事も舌鋒鋭く、読みごたえがありました。

 

その頃読んでいたのは朝日新聞。やはり当時の学生は、どこか世の中を斜めに見る、一歩引いて見る──簡単に言えば“左寄り”の感覚を持っていたのだと思います。

その後、社会人になっても十数年にわたり朝日新聞を読み続けました。

 

■ デジタル新聞の登場

 

それから時が流れ、今から16〜17年ほど前、新聞の読み方に大きな革命が起きました。

そうです、iPhoneの登場です。

 

登場したばかりのiPhoneは、カメラも付いていましたが画質はおまけ程度。インターネットにはつながるものの、PCには及ばず、キーボードもなく、少し画面が大きい“変わり種のケータイ”という立ち位置。いわば新しもの好き向けのガジェットでした。

 

そんな中、まず産経新聞iPhone向けに紙面をそのまま読める無料のアプリを出したのは、かなり画期的でした。

ただ、当時のiPhone 3Gの画面サイズはわずか3.5インチ。新聞紙面を読むには拡大・縮小を繰り返さねばならず、かなり苦労したものです。

 

その後、朝日新聞デジタル日経新聞電子版がスマホに最適化されたレイアウトで登場。これが、初期の“スマホ向け新聞”の草分けだったと思います。

 

ちょうどその頃、僕は中国に赴任しており、現地で日本の新聞を購読すると1ヶ月1万円以上、しかも日本版より1日遅れの配達でした。そんな中、デジタル新聞は日本と同じタイミング・同じ価格で読めるという点で、海外赴任者にとってはまさに革命的でした。

 

当時の日本の情報源といえば短波ラジオ程度だったので、スマホ1台で最新記事が読めるありがたさは計り知れません。

 

日本に帰国後も、朝日新聞デジタルと日経電子版を併読するスタイルが長く続きました。

 

そしてここ最近はコスパを重視し、他誌よりコスパに優れた「毎日新聞デジタル」と「日経電子版」を半額キャンペーンで購読していました。

 

■ 紙への回帰と中庸さに惹かれ

ただ最近、サラリーマン生活を卒業した自分が「そもそも新聞をスマホで読む必要があるのか?」と気づきました。

 

満員電車の中ならともかく、自宅のリビングでスマホの小さな画面を凝視するのは、どこか疲れる行為。情報を“読む”というより“追う”だけになっていた気もします。

 

そこで、紙の新聞をまた取ってみようかと考え始めました。

 

現在購読している「毎日新聞デジタル」は、僕には少し話題の幅が狭く感じられ、「日経新聞電子版」は相変わらず記事の質は高いものの、経済・金融中心の記事は今の自分の生活からは少し遠く感じるようになりました。

 

「どうせなら朝刊と夕刊をじっくり読みたい」と思い、ここ1ヶ月は近所の図書館に通って各紙を読み比べました。

 

まずは長年親しんできた「朝日新聞」。

リベラルな視点や環境・人権問題への関心は健在で魅力的でしたが、理想を語る記事が多く、若い頃にはすっと入ってきた論調も、今の自分には少し距離があるように感じました。

 

産経新聞」はややもすると国粋主義的な傾向を感じ、「東京新聞」は守備範囲が狭く、少し物足りませんでした。

 

そして、これまで縁のなかった「読売新聞」。

若い頃はリベラル志向で避けていたのですが、読んでみると政治・経済・生活・スポーツとバランスよく、論調も穏当。

読みごたえもあり、肩の力を抜いて読める紙面構成が気に入りました。

結果として、今の自分に最もしっくりきたのが読売新聞でした。

時とともに、自分の感覚も少しずつ変化してきたのかもしれません。

 

ということで、来月から紙の読売新聞を取ることに決めました。

スマホでは得られない、紙をめくる感覚と余白のある情報体験。 毎朝の時間が、少しだけ楽しみになりそうです。