iPadが登場してから今日まで、僕は9台のiPadを使ってきました。
iPad 2、iPad 3、iPad mini 2、iPad Air 2、iPad(第5世代)、iPad Pro 10.5インチ、iPad Pro 11インチ(M1)、iPad mini 6、そして先月買った最新のiPad(第11世代・A16)。
思い返すと、ずいぶん長い付き合いです。
もともとMacBook中心の生活でした。PowerBookの時代からApple製品を使い続け、MacBook late2008を約5年、MacBook Airを8年というロングスパンで使ってきました。
インテルMacの進化がやや緩やかだった一方で、iPadは年々性能が飛躍的に向上し、いつの間にか「持ち歩くメイン機」になっていました。特にiPad Pro(10.5インチと11インチは)は当時使っていたMacBookが性能的に限界だったこともあり、純正スマートキーボードを装着してMacBookモドキとして使っていました。
iPad(第11世代)
ところが先月、iPad mini 6を下取りに出して買ったばかりのiPad(第11世代)を、息子に譲ることにしました。
理由はシンプルで、先日購入したMacBook Pro 14インチ(M3)の出来が、型落ちとはいえあまりにも素晴らしかったからです。
もともとApple Pencilで手書きをする習慣もなく、結局相棒はMac一本に戻ってしまったというわけです。
息子はというと、11年選手のiPad Air 2からの乗り換え。iPhoneとの併用で普段使っており、パフォーマンスにあまり不満もなかったようなのですが、流石に11年分の進化は凄まじかったようで、画面の鮮明さも処理速度の速さも桁違いで、毎日うれしそうに使っています。
正直、iPad(第11世代)は以前iPad Pro 11インチ(M1)を使っていた僕から見ても、普通に使うぶんには何の遜色もなく、“一つの完成し尽くした到達点”といえる仕上がりだと思います。

MacBookPro14インチはモノとしての完成度が極めて高かった
ただ、僕にとっては──
仕事もオフもMacBook Pro 14インチ(M3)と過ごしている方が、圧倒的に幸せ度が高いのです。
iPadの3倍の重量があっても、トラックパッドの滑らかさ、心地よい打鍵感、そして柔らかな発色のディスプレイ。
MacBook ProはMチップの数字スペックばかりが注目されがちですが、僕のように動画編集をしない使い方であれば、M3ノーマルチップ+メモリ8GBで十分。
むしろ、それ以外の「プロダクトとしての完成度」が際立っています。
iPadを手放して、正直、電子書籍の使い勝手や視認性がどうかなと思っていましたが、Kindleなども慣れてしまえばMacBook Proのほうが快適に感じるようになりました。
iPadのように両手で持つということ無く、MacBookをデスクの上にぽんと置いて、左右見開きで書籍が読めますし、画面も綺麗です。
また、スピーカーひとつ取っても、オーディオコンポ並みのサウンドを鳴らします。
家で音楽を聞くときは、オーディオコンポでもなく、iPhoneからAirPodsでも無く、MacBook Proの出番です。ノートPCとは思えない、音の深みがあります。
発色の美しいディスプレイと工芸品のようなキーボードを備えたノートPCに、上質なオーディオを兼ね備えて1.55kg──この重さを“デメリット”とは感じません。
結論として──
iPadはあれば便利。でも、MacBookがあればなくても困らない。
ただし、手書きやイラスト用途、あるいは仕事用PCが別にある環境では、iPadはとても優秀な相棒になってくれます。