このブログについて
Macや旅、日々の暮らしの中で気づいたことを、気ままに綴っています。
古いMacを楽しむこと、街を歩くこと、そして日常を少し心地よくする工夫。
そんな「好きなもの」を、自分のペースで記録していくブログです。
新着記事

香港 深圳へ(4)
2024年8月25日 12:55華強北は中国最強の電気街
*写真注釈:午前中なので人が少ないです
深圳がハイテク都市と言われる所以は、ファーウエイやテンセントなど新しいハイテク企業が集中していることに加え、ここに来れば、ありとあらゆる電子製品・電子部品が手に入る華強北(ファー・チャン・ベイ)電気街を抱えている点にあります。
電気街としての規模感は秋葉原とほぼ同じくらいですが、華強北は電子製品・電子部品のお店の集積度合いが圧倒的です。
例えば1階から4階まで全部スマホケースを扱った建物。
同様に、一本丸ごとカメラ関係の製品のビル等々。
怪しげなスマホの修理再生品や、アップルの純正アクセサリーコピー品など相変わらず幅を効かせているのは御愛嬌。。(笑
結局求めていた商材が無かった
特にカフェで使えるようなコンパクトなタイプに狙いを定めていろいろな店舗・問屋さんを見てみましたが、、 結局お目当てのものを掘り起こすことが出来ませんでした。さてさてどうするか?
今回香港含め10日間の日程で香港深圳にやってきたわけですが。。 香港2日間は息子の骨董品フリーク巡り。 深圳の一週間は、現地の知人に、会社を辞めてこんなビジネス(ネットショップ)を始めますという説明でしたので、商材を探し回る時間があまり取れませんでした。 現地で10名ほどの人に会いましたが、「Blogは時代遅れですよ。何故Tiktokにしないのですか?」とか、「個人ショップではなくAmazonとか楽天にしたほうがいいですよ。」 等等、中国らしくスケールの大きな話、時流に関するアドバイス。 スモールビジネスに共感する人は僅か2〜3名でした。 来る前から、まぁこんなものかな?という予感はしていたのですが。 前途は少々心細いものはあるものの、このBlogは僕の新しい人生の記録として続けていきたいと思います。
香港 深圳へ(3)
2024年8月23日 22:31久々の深圳巡り
8年ぶりに深圳にやってきました。
ここはサラリーマン時代、約6年間駐在した僕にとっては第二の故郷とも言うべき場所です。
今回の旅の主目的は、その頃お世話になった方々へのご挨拶と僕のビジネスプランへのアドバイスをいただくこと。
約10名の方々とのアポを取りました。かつては僕の部下だったり、取引先の営業マンだった方々が、今や立派な会社の社長さんです。いわばチャイナドリームを叶えた人々ですね。
中国インフラセッティング
この6〜7年、中国の一気呵成デジタル化は凄まじいばかり。何はなくともまずはスマホ。
たとえ短期の旅行であっても、下記必須のツールです。
1)キャッシュレス決済アプリ(Wechat PayまたはAlipay)
深圳ではクレジットカードが使えるのはホテルのカウンターくらいです。
コンビニ、レストラン各種店舗ではほぼ100%使えません。
またコロナ以降、買い物での現金のやりとりする習慣が無くなったそうです。
僕も何度かコンビニで現金で買い物をしましたが、店員さんから「え!?現金!!」っていう感じで驚かれてしまいました。
子供からご老人でもスマホで決済しているんですね。
2)中国でのモバイル環境。
お買い物決済 乗り換え案内 地図、外でこれらを使うには何はなくとも中国でデータ通信ができる環境を整えておきましょう。
僕の場合は日本で中国の携帯電話会社の契約を済ませて来たのですが、通話は出来ても通信はどうにもこうにも不便な状況で、地図はほぼ使えませんでした。
深圳の土地勘があったのでどうにかこうにか移動は出来ましたが、スマホの通信環境は万全に!
(後日追記です)
最終日、試しに日本の携帯電話会社(僕はUQです)のローミング回線に繋いでみました。
なんと!一日千円くらいで普通に接続できるのですね!
てっきり昔の感覚で、ローミング=バカ高いという固定観念がありました。
次回からはローミングにします。
深圳の変容
(1)変わらないもの
深圳の中心街(羅湖、福田地区)、もともと大都市ですのでビル街や雑多なお店や街の風景は8年前と変化なし。
街を行き交う若い人たちも特段ファッショナブルとかではなく、お化粧もなしで質素な服装の人々が大多数です。昔のままの深圳でした。
(2)変わったもの
①電動化されたバイクが音も立てずに歩道を走り回っています。これは危ない。
一応バイクは気をつけながら走っているようですが、歩道を歩く時は不意な挙動は危険ですね。

②郊外の急激な都市化
中心地から深圳市内はほぼどこでも地下鉄で行けるようになりました。
十数年続いてきた不動産バブルが2〜3年前に弾けたとのことですが、高層マンション群+ショッピングモールの進出による郊外の都市化は目をみはるものがありました。

深圳はやはり心の故郷
中国南部の大都市かつハイテクな街でありながら、飾らないというか凄く雑多で庶民的な街深圳は変わらず心の故郷でした。

香港 深圳へ(2)
2024年8月23日 00:17香港巡り(骨董品)
サラリーマン時代の単身赴任先、深圳から帰任して今年で8年目の夏。
大学生の息子と一緒に香港に来ました。
息子が幼稚園時代、年に何度か香港深圳に遊びに来たのですが、さすがに当時の記憶はないとのこと。
骨董品マニアの息子とまずは二人で、香港の有名な骨董品街、ハリウッドロードおよび道つづきのキャットロードへGO。
あいにく朝方激しい雷雨に見舞われ、雑貨などを扱う露店はことごとく店を閉じており、店舗を構えた骨董屋さん巡りです。
明、唐、清王朝時代の美術館コレクションのような青銅器、陶器等を扱う高級店や1960年代あたりの陶器、雑貨を扱う大衆的なお店など数十軒の骨董屋さんが一本の通りに軒を並べています。
何軒かの店を巡り、彼は目ざとく年代物の工芸品アクセサリーを見つけ、値段交渉。
頑固そうな店主は「ノー・ディスカウント」と首を横に降って居たのですが、当初のプライス=1千香港ドルを少しだけオマケしてもらいました。

観光名所巡り
夕食は、スターフェリーで中環に渡った先にある日本でも有名な小籠包のお店、鼎泰豊(ディンタイフォン)で、小籠包に舌鼓を打ちました。
息子は美味しい美味しいと言って食べていましたが、正直昔と比べるとちょっと味が落ちたかな?と言う印象。
二日目の日曜日はビクトリアピークなどの観光名所を巡り、中港城のショッピングモールなどを眺め、満足そうに土日の香港を堪能。月曜日の朝の飛行機で日本に帰っていきました。

8年ぶりの香港の印象は、街も人も中国化されていました。
香港の中心街であり世界のブランドショップが立ち並ぶ尖沙咀(チムサーチョイ)や、国際的金融街である中環(セントラル)。
これらの繁華街は、以前は欧米人や日本人が多かったのですが、現在は外国人ツーリストが激減、中国本土からの観光客が圧倒的でした。
何処に行ってもガヤガヤとした雰囲気。街を行き交う人々の印象が深圳とあまり変わらないなという感じ。
ビクトリア・ピークでスリッパを履いた観光客(若い女の子)に遭遇するなど、中国の地方から気軽に来れるカジュアルな観光地になったのだと感じました。
香港のインターネット環境も激変。GoogleGeminiを始め、アクセスできないサイトがパラパラと有り、急遽VPNを入れてようやく日本同等の環境です。昔の香港ではありえない状況。それだけ中央の統制が強くなっているのですね。
やはり香港の物価は高かった
息子と二晩、鼎泰豊含めごく一派的な中華料理を食べました。
チャーハン、小籠包、鳥の蒸し物、ちよっとした野菜料理 飲み物。
二晩ともお家計は500香港ドル超え(日本円で約1万円)。日本の倍という感覚。
スタバも普通のコーヒー、トールサイズで日本円換算800円です。
もともと物価の高い地域ではあったけど、一般の庶民はおいそれと外食できないですね。
春にパリに行ったときも物価が高いなと感じたのですが、よく考えてみると香港やパリの物価が高いのではなく、日本の物価が安すぎるのです。
安い日本ということでオーバーツーリズムとなっている日本ですが、海外に出てみると確かにそうだなと感じます。
この30年の日本経済の立ち遅れを実感しました。
それでも、最後に息子が述べた感想「香港に来てよかった。」
僕もそう思いました。


香港 深圳へ(1)
2024年8月16日 17:02今日から数回、日々の出来事で綴りたいと思います。
僕(かっさん)はこの7月、長かったサラリーマン生活にピリオドを打ちました。
いわゆる定年を過ぎた年齢なのですが、僕にとって年齢は単なる数字。
この歳でのんびり過ごすつもりは微塵もありませんでした。
社会人スタートはエレクトロニクスメーカーの生産管理担当でした。
その会社でサラリーマン人生の第4コーナーあたりまで働いたのち、「一生現役」をモットーに、小さいながらも幾つかの会社に引き抜かれながら、比較的不自由のないサラリーマン生活を過ごして来ました。
以前のブログにも書きましたが、ある日突然「いつまでも会社という狭い枠の中にしがみついている場合ではない。これからは好きなことを仕事にして行こう!」と決心し、先月勤務先に辞表を提出しました。
しかし、この先の当てとか、自分に何か特技があるわけではありません。
エレクトロニクスメーカー勤務時代、10年ほど前に赴任していた中国の何人かの知り合いから、そろそろ独立したらどうですか?程度の声がけも一つのきっかけではあったものの、先のことは漠然とした中での退職でした。
実は何年も前から、好きなMacを使ってネットショップでもやってみようという思いはあったのですが、今までずるずると日常に流されて来ました。
何かができるチャンスを流してしまった人生
自分の人生を振り返ってみると、あの時ギターを習っておけばよかった(中学時代)→高校受験という言い訳。
バイクの免許をとっておけばよかった(高校時代)→大学受験という言い訳。
規定の人生を歩むことを最優先に置き、自分のやりたいことを叶えて来なかった人生だったような気がしています。
「自分で何かができるPowerがあるうちに行動を起こそう!」たったこれだけの決心すら無かったというか、高いところから低いところに流れる水が如くの人生だったような気がします。

Restart
会社を辞めて1ヶ月。ネットショップの下準備をしたり、念願だったBlogのスタートもしました。
これはこれで結構充実した時間で、勤めていてはなかなかこう言った時間は作れないですね。
10年ほど前にブログにタイトル登録だけして、何も書かずに放置してあった状態だったことすら忘れていました。
かつての赴任先である深圳で出会った何人かのスタッフたちは、現在立派な起業家になっていて、この一ヶ月は彼らとWe chatやビデオや、たまたま日本出張時に会って話を聞いて、なんとなく今後の道筋めいてきたのが、つい最近のことです。
深圳の知人の一人から、それではF2Fでブレストしましょうというお声がけがあったり、手掛けているビジネスへのアドバイスをしてくださいなどの声をもらいましたので、このタイミングで10日間ほど、温故知新ではありませんが香港、深圳に出かけることにしました。
しばらくは旅行記・観光記となりますが、よろしければお付き合いください。
台風接近
早い時間のフライトの都合上、前の日の晩移動で前泊しようと成田空港近くのホテルを予約したのです。
それが、よりにもよって移動日が台風接近の日となってしまい、さいたまの自宅を朝出発。
昼前には成田に着いてしまいました。
今回、大学に籍だけおいてゆる〜いネットビジネスを手掛けている息子も連れてきました。
ホテルのチェックインは16時からなので、空港で時間を潰しながらこのブログを書いているのですが、スタバや本屋さんレストランは14時に緊急閉店。各お店バタバタとシャッターが締まりました。
「もう電車が止まってるので帰れないんですよ〜」と某カフェのカウンターの女性スタッフがこぼしていました。(お客さん聞いて下さいよ〜モード。本部からの一方的な司令だったのでしょうね。ほんとお気の毒)
空港内のコンビニ(ここは14時閉店は関係ないようです)では、帰宅出来ないと覚悟した職員さんと思しき人達が、バタバタと買い物カゴに食材を詰め込んでいました。
宿泊したホテルでは、夕食はシャトルバスでまた空港に戻ってレストランでというお客さんが多かったとみえて、ホテル内のコンビニには長い行列ができていました。
此方は、空港でペヤングとビールを買っておいたので、コンビニに並ぶ必要はなかたのですが、この台風のお陰で、このホテルの宿泊者一同シンプルディナーです。
台風襲来という思い出深い親子旅のスタート。。これもまた御愛嬌のうちですね。。


PowerBook100とはんだゴテ
2024年8月15日 22:19アップルの異端児ノート
PowerBook100(以下PB100とします)、1991年にアップルが世に送り出したノートパソコン第1号。
正確にはPowerBook140と170と併せて3モデル同時発表されました。
当時のノートPCはどれもキーボードが前面にせり出したデサインでしたが、PowerBookはキーボードを奥に、その手前にパームレスト、中央にトラックボール(現在はトラックパッドですね)を配置するという画期的なレイアウトでした。
これは現在のノートPCのデザインのセオリーとなっていますね。
140と170は同じ筐体(フロッピードライブやSCSIポートなども装備)で、両モデルの相違点は液晶のグレード(STN液晶とTFT液晶つまりコントラストと視野角の違い )の差によるもので、いわば兄弟モデルです。
これに対してPB100は、フロッピードライブや幾つかのポートを取り除き、筐体は140・170より薄く、コンパクトなオリジナルのデザイン
CPUは140・170より一世代前のモトローラ68HC000という非力なCPUを積んでいました。
設計製造はソニーが担当。いわば妾腹とも言えるモデルなんですが、ソニーっぽい洗練された雰囲気の漂う独特のマシンでした。
僕がPowerBookでデビューした95年当時、PB100は販売終了していましたので、後年手に入れたPB100 計3台はすべてジャンクでした。
ドナドナ
15年ほど前ににヤフオクでゲットしたPB100(ジャンク1号機)。こいつは早々に部屋のオブジェと化してしまったのですが、当時は現役で使っていたPB-G4の他に、コレクションとして165,540C,G3他数台のPBを所有していました。
ところがある日、家内から断捨離司令発令!迷った挙げ句、動かないPB100をヤフオクに出品することにしました。
今思えばPB165あたりにしておけばよかったのですが。。
ヤフオクで即決価格100円+送料という値付けをしたこともあり、なんと出品3分で落札されてしまいました。
落札者の方に早業だった理由を尋ねてみると、「PB100出品アラートを設定していたものの、なかなか良いPB100は上がって来なかったんですよ。今回は美品ですし、しかも100円。ラッキーでした。」とのこと。
これは失敗したな!と思ったのは後の祭り。
それから何年もPB100の出もの(完動品あるいは動かなくても美品)に出会うことはありませんでした。

ジャンク再生
その後PowerBook熱が冷めてしまった時期もあったのですが、7年ほど前にヤフオクで、ジャンク2号(液晶の状態が良いがHDDお亡くなり品)、メルカリでジャンク3号(液晶含め状態がかなり悪いが一応動く)をゲットすることが出来ました。
2台揃ったところで、それぞれのいいとこ取りして、文句の無しの完動PB100完成!
でも、暫くするとこの時代のノートPCの宿命。電解コンデンサの液漏れで、液晶が映らなくなるりまたもやオブジェ状態に。
ヤフオクやメルカリで捜してもPB100完動品は上がってこないので、仕方なく自分で直そうと言う無茶な決意に至ったわけです。
早速ネットでPB100の技術情報を探し回り、約20種類の電解コンデンサを交換する事が必要ということがわかり、アキバのパーツ屋さんで各種コンデンサを揃えました。
ホームセンターではんだゴテも購入しました。
僕は文系なので電子技術とかかなり疎く、はんだゴテさえ握ったことがないのですが、どうせ動かないわけだし失敗は覚悟の上で、人生初のハンダ作業!
半日ほどかけてすべてのコンデンサを付けかえました。
そして、筐体を組み直し電源を入れ直すと。。見事に起動しました!PB100復活の儀!さすがにこれには感動しましたね〜。
自分にはPowerBookの神様が付いているのではないかと!?
それから更に数年後、このPB100、この世代のノートPCが避けて通れない液晶モニタビネガー症候群となってしまい、偏光板の新しいヤツをネットで買って、接着剤を確か軟化スプレーをかけながら、ヘラで剥がして貼り直しました。
これもまた根気は要るし、臭いは強烈だしで壮絶な作業だったのですが、今思えばPower Book愛の成せる技だったと思います。
この記事を書くにあたりPB100、久々に起動させようとしたのですが、肝心のACアダプタが見つからず。。
なので、今年の大掃除までクローゼットの中でお休みさせておきます。笑