このブログについて
Macや旅、日々の暮らしの中で気づいたことを、気ままに綴っています。
古いMacを楽しむこと、街を歩くこと、そして日常を少し心地よくする工夫。
そんな「好きなもの」を、自分のペースで記録していくブログです。
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クルマのお話(小説編)
2024年9月9日 17:17雨の日に車をみがいて:男とクルマとそして女の物語
今回は車のお話その(2)、僕に人生とクルマについての楽しさを教えてくれた五木寛之さんの『雨の日にはクルマをみがいて』を紹介します。
この作品は、9話の短編集で、主人公の「ぼく」が次々に乗り換えた9台のクルマと、彼のまえを通り過ぎていった9人の女性たちとのほろ苦いエピソードを綴ったクルマ小説の名作です。
強く心に残る「バイエルンからきた貴婦人」
この小説集のなかでも第四章の「バイエルンからきた貴婦人」は何度も読み返した作品です。主人公が手に入れたBMW 2000CS、それに魅せられた謎めいた女性、朝霞圭子との出会いと別れが描かれています。
当時、日本にその台数も少なかったBMW 。手に入れたばかりのBMWをぼんやりと眺める女性に声を掛けたことがきっかけでドライブデートに。
ハンドルを握りながら得意げに、BMWうんちくを語る主人公。
しかしそのBMW 2000CSは主人公にとっては操り切れない、秘めたパフォーマンスをもつクルマだったのです。
それは二人が軽井沢へと行く碓氷峠国道18号線旧道。そう。頭文字Dに登場する何十年も前からの関東の走り屋の聖地。
僕も20代の頃ハチロクレビンで下道をとろとろ走って行きました。
主人公は軽快なハンドルさばきで前方のトラックを追い越したり、BMWドライバーの優越感に浸り旧道のカーブを飛ばすのですが、後方からトヨタ1600GTに煽られてしまうのです。
「もっとスピードを上げるのよ!貴方の運転は遅いわ!」知り合って数ヶ月、普段は大人しく助手席に座っている圭子が突然厳しい言葉を主人公に投げ「運転代わってくださらない!?」
とハンドルを握ると、後方で待ち構えていたトヨタ1600GTを手招きし、見事なハンドルさばきとシフトワークで、1600GTをはるか後方彼方に追い去ってしまったのです。
そして翌朝、軽井沢のホテルで目覚めた主人公。枕元には圭子の置き手紙。
かつて圭子が暮らしたドイツバイエルンで、歳の離れた恋人である医師の愛車がBMW 2000CS。
彼女は彼にそのクルマにふさわしいドライビングの手ほどきを受けていたのです。
どんなに優雅に見えようともドイツ人にとってクルマは道具。時には荒々しくムチを入れてこそ本領を発揮し、クルマもそれを待ち望んでいるのだと。
当時国産車とは圧倒的な性能アドバンテージのあった欧州車を単に憧れだけで手に入れた主人公の未熟さ、恋愛における切なさ、そして喪失感。
若い頃ってそんな経験しますよね。
時を超えて共感できるクルマとの人生
この作品の魅力は、主人公の若かった時代を通して、読み手が自分自身の過去を振り返り、人生の機微や切なさに共感できるところです。
時代背景は変わっても、若者が抱える悩みや喜びは普遍的なもの。
実は僕的も小説のような経験があります。
スカイラインR34-GTに乗っていた頃。
やはり朝霞圭子のような髪の長い謎めいた女性との一瞬の出会いがありました。
彼女は気品のある佇まいで、普段は物静かなのですが、クルマと向き合う姿勢がちょっと常人ではなく、愛車は、ランチア・デルタインテグラーレ。
ある日のドライブの帰り道、ちょっと袋小路に入り込んでしまい。。
ナビシートから、朝霞圭子同様に「貴方の運転って、まるでサバイバル映画で最初に殺されちゃう人のようね!」という手厳しいツッコミ。
その日を境に、彼女は僕の前に現れることはありませんでした。
ドライバーはひとたびそれなりの車を得たら、そのクルマに乗るにふさわしい運転をするべしなのです。
スポーティーカーのオーナーは、誰かにそのスペックを語ったり、満足感に浸っている場合ではなく、まず乗りこなさなければ、乗り手失格。
カーブの多い峠道のシフトワークやハンドルさばきだったり、ガンガン飛ばせる高速道路の追い越し車線での俊敏な加速だったり。
その運転技量によって、助手席に誰が乗るのかが決まってしまうのです。
「お前なんか俺をドライブする資格はないよ!」とクルマと助手席に言われてしまうのです。
クルマからの人生へのエール
若い頃の甘酸っぱい思い出や、大人になるにつれての様々な失敗。。
そしてそれでも前を向いて「雨の日だからこそクルマを磨こう!」と前向きに歩むことの大切さ。
五木さんの美しい文章と、車と女性への愛情が織りなす物語はまさに「人生に必要な事は車が教えてくれた」。。のかもしれません。

クルマのお話(漫画編)
2024年9月9日 07:03クルマなんて、走ればいい。
今の僕は、だいたいそんなふうに思っています。古いフォルクスワーゲンに18年も乗っているのも、積極的に買い替える理由がないからです。
ただ、近年の猛暑ではエアコンが効かない。
「走ればいい」と言っておきながら、夏になるともう少し条件を足したくなります。
そんな僕も、20代から30代にかけてはハチロクやスカGを乗り継いでいました。目的地に着くことだけでなく、そこまで運転する時間そのものが楽しかった頃です。
当時、何度も読み返した漫画があります。『GT roman』。
今でもこの漫画を思い出すと、登場するクルマの姿が浮かびます。そして、そのクルマを好んで乗っていた、少々面倒くさくて愛すべき人たちのことも。
名車への想い「GT roman」
GT roman』の舞台は、沼津にあるカフェ「roman」。元「族」のリーダーというマスターのもとに、筋金入りのクルマ好きたちが集まってきます。
古いクルマに惚れ込み、手をかけ、意地を張る。傍から見れば「そこまでしなくても」と思うようなことに、本人たちはいたって真剣です。
その姿がおかしくて、格好いい。
初代スカイラインGT-Rと、新しい世代のスカイラインGTS-Rが峠で勝負する話もあります。技術の進歩を考えれば、新しいほうが有利なはず。でも、それだけでは片づかないところに、この漫画の面白さがありました。
クルマの性能に、乗り手の腕や性格や意地が混ざってくる。
読んでいるうちに、こちらまで「古いからって、侮るなよ」という気持ちになってしまうのです。
登場する名車は数あれど、僕が特に惹かれたのは、次の3台でした。
初代スカイラインGTR ハードトップ

カフェ「roman」のマスターが乗る、初代スカイラインGT-R。いわゆるハコスカのハードトップです。
このクルマについて、僕が妙に覚えているのは、夏に水温が上がってしまうのでガレージで休ませている、ということ。
クルマなのに、乗らずにいたわる。
今の僕なら「必要なときに走ってくれないと困る」と思いそうですが、マスターがやると、それが格好よく見える。惚れた相手の苦手な季節くらい、承知しているのでしょう。
うちのワーゲンも夏は苦手ですが、こちらは休ませてもらえません。持ち主ともども、暑さに耐えています。
ハコスカにはレースで活躍した歴史もありますが、僕が見惚れてしまうのは、その形です。
特にハードトップの、後ろへ流れていくルーフライン。
車体には角張った力強さがあるのに、屋根から後ろにかけては、すっときれいに線が抜けていく。勇ましいだけではない、品のよさを感じます。
当時の日産車では、フェアレディZの後ろ姿も好きでした。どうやら僕は、クルマの屋根がどんなふうに終わるのかに弱いらしい。
速さの話をしていたはずなのに、結局、線の一本に惚れているのです。
ロータス・ヨーロッパ

ロータス・ヨーロッパは、一度見たら忘れにくいクルマです。
低い。とにかく低い。
漫画には、サイドウインドウからガードレールしか見えない、という話が出てきます。本当かよ、と思う。でも、あの姿を見ると、ありそうだなとも思う。
景色のいい道を走っているのに、横を向けばずっとガードレール。助手席に乗る人には、事前の説明が必要かもしれません。
それでも惹かれるのは、あの独特の形に迷いが感じられないからです。
低く構えた車体と、ひと癖ある後ろ姿。万人受けを狙って少し丸めました、というようなところがない。好みは分かれるでしょうが、好きになった人には代わりが見つからない形だと思います。
僕には、あれだけ尖っていながら、どこか静かな英国紳士のようにも見える。
ただし、付き合いやすい紳士かどうかは別の話です。
所有して日常的に乗るとなれば、きっと覚悟がいる。それでも一度は、あの低い場所から道路を見てみたい。
ガードレールしか見えない、という文句を、自分でも言ってみたいのです。
アルファロメオ・ジュリエッタ

アルファロメオ・ジュリエッタ。
このクルマは、名前を口にするところから、もう楽しい。
ハコスカのような凄みとも、ヨーロッパのような極端さとも違う。僕が惹かれたのは、小ぶりな車体に収まった、軽やかで上品な佇まいでした。
シンプルなのに、素っ気なくない。かわいらしさがあるのに、それだけでは終わらない。
フロントにあるおなじみの盾形グリルも、この小さなクルマによく似合っています。顔つきを眺めているだけで、なるほどアルファロメオだな、と思わせるものがある。
僕はこういう形を見ると、当時の日本車も思い出します。どこか親しみがあるのに、同じではない。その少しの違いを、いつまでも眺めていたくなります。
漫画を読んでいると、この姿が道の上で動くところを見たくなる。エンジンの音を聞きたくなる。
紙に描かれたクルマなのに、こちらにそんな欲が湧いてくる。『GT roman』は、その気にさせるのがうまい漫画でした。
あの頃の名車 まとめ
こうして3台を並べてみると、形も性格もずいぶん違います。
それなのに、どれも忘れられない。
きっと僕は、クルマそのものと一緒に、「自分はこれが好きだ」と決めて付き合っている人たちにも惹かれていたのでしょう。
もっと新しくて、便利で、手のかからないクルマはある。それでも、ガレージにいる一台を選ぶ。弱点まで知ったうえで、また乗り込む。
『GT roman』には、そんな人たちが集まっていました。喫茶店で交わされるクルマの話を、僕も隣の席で聞いていたかったのだと思います。
さて、僕のワーゲンは18年目になりました。
走ればいい、と言いながら、ずいぶん長い付き合いです。買い替える理由がないのか、それとも、乗り続けたい理由をいちいち言葉にしていないだけなのか。
夏に効かないエアコンのことまで書いていると、少し分からなくなってきます。
次回は小説の中のクルマについて。もう少しだけ、昔好きだったクルマの話にお付き合いください。

間もなく旧型 iPhone15pro
2024年9月8日 10:13
2007年、初代iPhoneの発売以来今年で17年目。
毎年新しいiPhoneが登場し、今ではMacBookよりも高額なプロダクトになりました。
MacBookやPCが無くても困ることはあまりありませんが、iPhoneやスマホなくしては毎日の生活すら成り立たないほど。それほど世の中を変えてしまった大発明品ではないかと思います。
iPhoneが大発明たる所以と功績
それは、おおきく以下の2点だと思います。
(1)2007年のiPhone発表プレゼンでステーブ・ジョブズが述べている通り、ワイドスクリーンのiPod、革命的な携帯電話、革新的インターネットマシーン。これら3つの商品をそれぞれ圧倒的に進化させて一つの製品にしてしまったこと。しかもポケットサイズはそのままで。
(2)App Storeによる多種多様なアプリケーションを提供するプラットフォームを構築したことで、ゲーム、エンターテイメント、ビジネス、教育など、様々な分野でのイノベーションを促進。
更には、アプリ開発者やアクセサリーメーカーなど、iPhone関連の新たな産業を創出。世界中の企業に影響を与え、ビジネスモデルやサービスの変革をもたらしたこと。
以上のような点から、iPhoneは単なるエレクトロニクス製品の枠に留まらず、人々の生活、社会、経済に大きな影響を与えた現代の大発明といえます。
極私的iiPhone遍歴
ここでざっと、僕のiPhone購入歴を振り返ってみます。
・iPhone 3G/16GB(2009年)
この当時は、まだまだ新しもの好きが飛びつくマニア向けガジェットの域でした。
OSの完成度も発展途上で、例えばテキスト入力のコピペ機能がなく、テキスト打ちはせいぜいショートメール用途くらい。
当時国内で一斉を風靡していたSNS ミクシイの投稿はNokiaの携帯での打ち込みがメイン。iPhoneはサブ機という位置づけで使っていました。
・iPhone 3GS/32GB(2010年)
カメラが200万画素から300万画素に進化。OSも進化して使いやすくなり、徐々に一般の人々に受け入れら始めたモデル。
・iPhone4s/64GB(2011年)
先代のiPhone4が世界的に爆発的ヒット。4sはそのブラッシュアップモデルです。
その後AppleはiPhone6シリーズまで、ナンバリングモデルの翌年にsモデルを発売するサイクルを取り、iPhone買うならsシリーズを待て、と言われていたように、この4sは 総合性能的にバランスが取れています。Siriが搭載されたのも4sからですね。
電池交換、パネル交換など修理しながら長く使いました

・iPhone6/128GB(2014年)
発売日発売時刻めがけてアップルストアオンラインで購入。
5シリーズの購入をあえて見送り、4s(3.5インチ)からの乗り換えでした。大きな4.7インチの画面はつくづく良いなぁと思ったものです。
・iPhone7/128GB(2017年)
イヤフォンジャックが廃止され、あれれと思いましたが、バランスの取れた良い製品でした。
アンテナラインのデザインや、シックで洗練されたカラーバリエーション。この4.7インチシリーズの中でベストと思います。
・iPhoneSE第2世代/128GB(2020年)
歴代モデル中最のコスパ。なにしろユンキュッパでした。
iPhone11と同じSOCを搭載し性能も申し分なしの名機。しかし。。バッテリーがあまりにもプアーだったのが唯一の欠点。
・iPhone13/256GB(2022年)
その頃は半導体不足で店頭の商品が枯渇した状態で、ようやくモデル末期の夏場にゲットすることが出来ました。スクエアなデザインはかつての4sを彷彿とさせる感じで僕的にはとても気にいっていました。
・iPhone15 Pro/256GB(2024年)
今年の春、家族とフランス旅行に行くにあたり、一眼レフカメラを買おうか迷った結果、15Proへ買い替え。
Phone15 Proの良いところ
(1)一眼レフ要らず
抜群でのカメラ性能。観光スナップ写真を撮るには光学3倍ズームはありがたいです。
京都街歩きや観光先で、きれいな写真がさっと撮れる秀逸なカメラ。
(2)百均ケースでこそ引き立つデザイン
15Proの外装パネルの素材はチタン合金です。
ブルー、ブラック、ホワイトは、セラミック微粒子をチタン表面に蒸着させる「PVDコーティング」という製法で着色されたあと、微細な研磨剤を用いてチタン表面を研磨し、光沢を抑えたマットな質感に仕上げています。
尚、ナチュラルチタニウムは、PVDコーティングを行わず、チタン素材そのものの色味を生かし、ブラッシュ仕上げによって上品な光沢に仕上げているそうです。
この製法はiPhone15Proならではです。
15Pro買ってケースで自己主張する必要はありません。百均クリアケース一択です。
ケースが劣化したら買い換えればOK。なにしろ100円ですしね。!

まもなく旧型、ただしそれは数字だけ
まもなくAppleのトップページは15から16へ。しかし、SOC、電子パーツ、金型、外装その他諸々のパーツの中で新しくなる領域は限られています。
新機種が出ても、できることはほぼ一緒。そろそろ替えどきかな?と思ったタイミングでその年のモデルを買って長く使う。それで良いのです。たかだかスマホです。人生の全てではありません。

東京ギフトショーで感じたチャイナパワー
2024年9月7日 10:14日本最大の生活雑貨見本市
ギフトショー、正式名称は東京インターナショナル・ギフト・ショー(TIGS)は、日本で最大級のパーソナルギフトと生活雑貨の見本市です。
毎年春と秋に東京ビッグサイトで開かれ出展社数約3,000社、来場者数約20万人という大イベント。
https://www.giftshow.co.jp/tigs/98tigs/2024autumn/news0905.htm
会社勤務時代は必然的に業務関連の展示会に足を運ぶことが多かったのですが、フリーの身になってみると、気の赴いた展示会に足を向けるのも一つの楽しみです。
残念ながら「場内は撮影禁止です」というアナウンスが流れていたので、会場の状況を掲載は出来ませんが、色々とユニークなグッズを観ることが出来ました。

。

ここでビッグサイトの区画概要を整理すると
・東会場:(東1〜7ホール)から構成されており、各ホールの広さは90m×90m。
合計すると約56,700㎡の展示面積。東京ビッグサイト全体の展示面積の約45%を占めています。
他の展示棟は以下の通り
・西展示棟: 約39,500㎡
・南展示棟: 約27,400㎡
大抵の展示会は東ホールで行われますが、今回のケアショーは東展示棟と西展示棟で行われましたのでかなり大規模な展示会です。
中国そのまんまの第7ホール
圧巻だったのは、東展示棟7ホール。「インポートギフトフェア」と銘打たれたホールにぎっしりと並ぶ数百社のブース。そのほぼ全てが中国企業。
日本の会社のブースのスタッフさんは、ややもすると「(単に会社の指示で来ました)やらされ感」的雰囲気を醸し出しちゃったりしているものです。
対して、この第7ホール。遥々外国から日本に来て、商機を得んとしようとする人々たちの発するエネルギーは格段に次元が違います。
凄まじいばかりの熱気に包まれていました。
僕はこのエリアを2時間くらいかけて、全てのブースを見て回りました。
オリジナリティのる布製のバッグやポーチ。その縫製関係の会社は中国の産業構造上、やはりまだまだ多かったです。
現在日本の多くのアパレルが進出している、カンボジアやベトナムに比べると、いささかコストは高くなるのでしょうが、現在の中国企業の強みは、独創性と提案力です。
特に華南地域といわれる深圳や東莞の工場は、世界と勝負し始めて30年の物作りの歴史を持っていいます。
つまり30年前、僕らの先輩にあたる世代のいわゆる「教え魔」と言われる職人肌の日本企業の駐在員の指導を受けたノウハウが、一世代受け継がれてどっしりと「中国に根付いたものづくり」なのです。
加えて、それらの技術は僕が中国にいた10年前からは、確実に進化してると感じました。
中国食文化を理解しないと彼らと円滑な人間関係を築けない
お昼時だったので、スタッフの方々が人目を憚ることなく、どーんとブースのテーブルで和気あいあいとカップ麺を食べたりしているのはご愛嬌。
お行儀が悪いとか、お客ないがしろ、などの目で見ることは慎みましょう。
そもそも中国は数千年の歴史の中でも何より食べることを重んじる国なのです。「何よりも」です。
その伝統的シンボルとしてよく知られているのは、鼎(かなえ)です。古代中国において、食物を煮炊きするための青銅製の古代中国の王や貴族だけが所有を許された特別な器。
新王朝が成立すると、前の王朝から鼎を奪うことが、権力の移譲を象徴する重要な儀式。
現代中国においても、鼎は国家の象徴として、重要な儀式や国家機関のシンボルとして使用されています。すなわち数千年の過去から現在に至るまで、権力者の第一使命は民を食べさせること。人々は食べることが生命・活力の源であり、日常生活の最も重要な支え。
よって展示会だから、マネージャーから「お昼適宜食べて来てくださいね。」的な一言のあとは自己責任。結果的にスタッフはお昼を食べられなかった。。などということはあり得ません。だったらみんな一緒に食べましょうなのです。
また中国では、「ご飯食べた?」(吃饭了吗? ちー・ふぁん・ら・ま?)は、挨拶として頻繁に使われるフレーズです。「こんにちは」と同じような感覚で使われ、相手への気遣いを示す言葉です。
中国では食べることはコミュニケーション、人間関係、文化、そして人生を楽しむ上で欠かせない重要な要素なのです。
ということで、展示物もさることながら、久々に中国の原点を再認識して、エネルギーをいただいたような1日でした。


SE/30 コンパクトMacの金字塔
2024年9月6日 10:38Macintosh SE/30は、1989年に発売された、コンパクトでありながらも、パソコン創世記のハイスペックマシーンです。
小さな筐体に9インチモノクロモニタを一体化。当時としては高性能なプロセッMotorola 68030を搭載していました。
その時代はノートPCが世に登場する前だったので、7キロの重量物を専用のバックパックで担いで電車に乗っているコアなファンをごく稀に見かけたりもしました。
SE/30との出会い
2001年1月4日(お正月休み)に購入した記録がスケジュールソフト「Now Up-to-Date」に残されていました。(写真参照)
あの頃かなりオールドMacにハマっていて、まめに購入履歴をこのSE/30に入れいたようです。
この画面を見ると翌週にSEを買ったとありますね。続けてQuadra700などの名機をアキバ巡りでゲットしました。

購入場所はアキバのガレージセール。
駅前の大通りを一本向こうに入った、今ではメイドカフェの女の子たちが手招きしている裏通りの雑居ビルの1Fが駐車場になっている場所です。
土・日になると、色々なお店がビデオデッキ、ジャンクガラケー、デスクトップPCから抜き取ったHDDやビデオカード、メモリー、CD-ROM等々さながらジャンク大放出会場。
稀にオールドMac本体が並ぶという感じ。
なのでこのSE/30はさしずめ初売りの大放出品ような感じで、価格は2万円ちょいだったと思います。
全バラの儀
あの頃僕はオールドマックを購入すると、必ずバラして中の構造をしみじみと眺め、再び蓋を閉めるという変な儀式(?)を執り行っていまして、購入早々このSE/30もバラしてみました。
SE/30の筐体は、通常のドライバーだけでは開けられない特殊な構造になっていて、筐体のビスを外したあと「マックオープナー」という平たい金属製のヘラのような形状をした専用工具が必要。これはアキバのラジオデパートで700円くらいで購入した記憶。
これをSE/30の本体とリアカバーの隙間に差し込み、テコの原理を利用して筐体を開けるのです。さしずめ職人の道具です。
さてさて、オープナーでSE/30を開腹して、しみじみと眺めた内部構造はというと。。
重厚なガラス製ブラウン管式のディスプレイはソニー製。その下に小学生が使う下敷きのようなロジックボードとアナログボード。3.5インチフロッピードライブ。当時オプションだったハードディスクドライブもしっかり組み込まれていました。たかだか80MBくらいの容量にもかかわらず、これがまた巨大で、分厚い本一冊くらいのボリューム。一番下にずっしりと巨大な電源ユニット。
これらがコンパクトな筐体の中に効率よく配置されたさまは、さぞかし設計には苦労したんだろうなぁなどと想像力を巡らせ、エンジニアへの敬意の念を抱いたものでした。
それと、オープナーで開けた筐体の裏面には日本の金型メーカー、東北ムネカタ社の刻印があり、まさにSE/30は、当時の世界に誇る日本のモノづくりの賜物だったと云えます。
SE/30の魅力
(1)デザイン
コンパクトで洗練されたそのデザインは、ドイツのフロッグデザイン社が手がけたものです。同時代のフォルクスワーゲンゴルフも同社のデザインなんです。
よく見ると双方どこか雰囲気が似ていませんか?
(2)大容量メモリ
なんと!ロジックボード上に8つのSIMスロットがあります。
ここに 30ピンSIMMと呼ばれるタイプの16MBのメモリを8本刺すと、128MBまで認識するのです。
今のPCに例えると128GBメモリといったところでしょうか?完全にオーバースペックですね。
因みに僕のSE/30は三菱の1MBのメモリが8本刺さっていましたが、これでも当時のPCとしては十分すぎるメモリ容量。
進化が速かった当時のPC
発売時は高性能とはいえ、その時代のパソコンの進化は日進月歩。
入手した2001年当時はカラーモニタ化。CPUも68303〜68040〜PowerPC601〜603〜G3~G4と目まぐるしく進化。
おまけにインターネット興隆期でしたので、インターネットに繋がらないSE/30でできることは主に、前述の「Now Up-to-Date」でMac購入履歴管理。
加えて、当時のMacの標準ソフト「ハイパーカード」上で動くゲームソフトや簡単なデータベースを動かすことくらいでしたか。ちなみに「ハイパーカード」はWebブラウザやHTMLの設計に大きな影響を与えました。
シマシマック

さすがに35年も経ったオールドマック。その寄る年波には勝てず、数か月前からモニタが縞々となってしまうシマシマックの症状が現れました。
原因は電解コンデンサーの液漏れらしく、交換が必要なコンデンサは秋葉原のパーツショップで買い揃えました。
いつかまたはんだごてを握って修理をしようと考えています。
ではまた報告しますね!