このブログについて
Macや旅、日々の暮らしの中で気づいたことを、気ままに綴っています。
古いMacを楽しむこと、街を歩くこと、そして日常を少し心地よくする工夫。
そんな「好きなもの」を、自分のペースで記録していくブログです。
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65歳、大人の休日倶楽部パスで日帰り温泉グルメ旅を始めました(後編)
2026年7月20日 20:51前編のおさらい
前編では、65歳の節目に大人の休日倶楽部ジパングカードを作り、その翌週に控えていた第一回のパス利用期間へ、勢いよく飛び込んだお話を書きました。
我が家は大宮。宿は取らず、毎日大宮駅を起点に日帰りで往復するというスタイルで、テーマは「駅近グルメ」と「駅近温泉」。
初日は新潟で肩慣らし、2日目は青森まで往復3時間超の大遠征。それでも毎晩自宅で眠れる身軽さは、何物にも代えがたいものでした。
さて後編は、3日目のかみのやま温泉、4日目の鳴子温泉、そして最終日の平泉。この旅いちばんの「まさか!」も、この後半で起きたのでした。
【3日目】かみのやま温泉 ― 城下町の温泉で、ほっとひと息
3日目は山形へ。山形新幹線に乗って、かみのやま温泉駅を目指します。
前日から台風7号・8号のダブル台風接近という事で気が気ではなかったのですが、まず未明に8号が水戸方面を横切り 8時ちょい前に家を出る頃は雨は一時的に上がってどんより曇り空。一抹の不安を抱えながら、大宮08:32発のつばさ127号に乗りました。
山形新幹線に乗るのは、出張のとき以来約10年ぶりくらいです。
この山形新幹線は福島までは、東北新幹線に連結して走るのですが、福島を過ぎると様相が一変。車体は東北新幹線に連結された横4席のコンパクトサイズの車体。速度は130km/hまで落ち、踏切が現れ、住宅街の間をゆっくり走り始めるのです。
実は山形新幹線は「ミニ新幹線」という形式で、線路幅だけが新幹線規格で、車両は在来線サイズ。窓の外には東北の山間の風景が広がります。
かみのやま温泉駅には10:56着。改札は自動改札ではなく有人改札でした。小さな温泉街の駅らしい佇まい。
まず向かったのは上山城です。駅から歩いて10分ほどで到着。石垣の上に白壁三層の端正な天守閣が建ち、眼下には上山の街と奥羽山脈の稜線が広がります。
台風が来るとは思えない夏の青空と入道雲、さいたまより暑いくらいの陽気でした。
山が台風の雨雲を遮ってくれたのでしょう。

その後はやはり徒歩で、武家屋敷(江戸時代の武家屋敷が四件ほど残っておりそのうちの一軒が格式も高く京都の寺のような手入れがされていて 二百二十円で見学)・鶴の休石・城下町を散策。山形観光サイトのモデルコースをほぼオンスケジュールで巡りました。

昼食は町中のおそば屋さんでで山形そば。穴子丼セットを頼みました。どこか懐かしいようなホッとするお味です。

13時過ぎにはかみのやま温泉の名物「名人の湯」へ。
源泉かけ流しの湯に浸かり、拍子抜けするほどの穏やかな午後を堪能。

その後もう一か所、「下大湯共同浴場」へ。
ここは浴槽も広く、いわば昭和の銭湯でした。
とても気分よくお風呂に浸かることが出来、1日に温泉を2か所ハシゴするのが乗り鉄温泉旅の醍醐味だと気づきました。

締めは「中條饅頭」のお店でお土産を購入、アイスを食べながら一息。

まだ時間があったので在来線で山形駅へ移動。エスパル山形で山形牛みそ漬けを家族のお土産に購入。山形駅から17:07発つばさ154号に乗り込み、19:19大宮着。
台風を心配して損した、というくらい充実した晴天の一日でした。
【4日目】鳴子温泉 ― この旅、最大の「まさか!」
4日目は、やはり出張で行って以来30数年ぶりの鳴子温泉。
古川駅で陸羽東線に乗り換え、夏空田園風景の中をゆっくり走ること約46分、鳴子温泉駅に到着。

まず向かったのは「早稲田桟敷湯」。戦後間も無くのころに早稲田大学の学生が掘り当てた源泉だそうで、この名前がついているのだそうです。
天井の高い60年代風モダンな建物が印象的。ちょっと熱めの乳白色の硫黄泉にゆっくり浸かり、桟敷席で一息ついた。660円とは思えない満足感!。

その後 ランチは駅近くの食堂「たかはし亭」へ。古民家風の畳敷きの店内に、赤いちゃぶ台、扇風機、全国こけし祭りのポスター。
昭和の温泉街の食堂そのものの雰囲気の中で、温玉スパイスカレー。ターメリックライスにハート型のニンジンが添えられた見た目より本格的なお味。

食後は「鳴子ホテル」の大浴場へ。1,520円とちょい高めではあるもの。鳴子では由緒ある温泉ホテルのようで、昭和57年に当時の皇太子ご夫妻がご来訪されて写真が飾ってあった。館内はかなり広く、さすがに座敷の寝転びどころは無いがゴージャス気分を味わうには十分な日帰り温泉という感じでした。

そして本日の3連湯(?)目の「滝の湯」
鳴子温泉に来たら必ず立ち寄れという名湯。ここは大きな方の湯船が常時45℃以上らしく、とてもじゃ無いが入れません。膝下まで浸かるのが限界でした。

横にある6人ほど浸かれるぬるい方の湯船に入ると、肩が触れる距離で浸かっていた隣の方がよくここに来られるような蘊蓄話をしてきたので「どちらからですか?」と声をかけたところ、なんと僕の実家である埼玉県行田市出身の同じ小学校の先輩でした。
僕よりひとまわり先輩らしく、お歳の割には野生的でとても若々しい人でした。
東北の山奥の共同浴場で同郷の先輩に遭遇するとは、大人の休日倶楽部パス恐るべし!
同じパスを使って同じ温泉に来る同世代の温泉マニア同士、自然と引き寄せられたのかもしれません。
コアな温泉マニアたちが平然と入っているのを横目に、39度のぬるい方で十分楽しみました。
300円でこの満足感、鳴子温泉恐るべし!旅の醍醐味の、いちばん深いところを味わった気がしました。
帰りは古川から仙台に出て、家族へのお土産に牛たん弁当を3つ購入。仙台から大宮へやまびこで帰宅。

温泉3か所・絶品ランチ・同郷との奇跡の再会と、5日間の旅の中でも特に濃密な一日となりました。
【5日目】平泉 ― 歴史ロマンで、旅を締めくくる
5日間の旅の最終日。直前まで盛岡・米沢・磐梯熱海・飯坂温泉・盛岡等々。。と行き先を散々迷いながら、ともかく大宮駅発9:10のやまびこに乗り込み、一度平泉に行っておこう
ということに。これ、乗り鉄の醍醐味(笑
やまびこで一ノ関経由で東北本線に乗り換えてわずか8分、平泉駅到着。
平日にも関わらず平泉駅で30人くらいの人々が下車。ここも有人改札なので、かなりの割合の方々が大人の休日パスを駅員さんに提示していました。
快晴の青空が広がる清々しい朝、まず向かったのは毛越寺。駅から徒歩10分、浄土庭園の大泉が池が静かに広がっていました。平安時代の面影を残す池と石組み、確かに美しいのですが建物は何も残っておらず、園内の当時の様子を描いた掲示板を目に焼き付けて想像力を働かせてみましたが、僕にとっては正直なところ「池だけなのね。。。」でした。

中尊寺へは毛越寺から徒歩25分。急で長い月見坂の杉並木を息も絶え絶えに登りながら、京都の鞍馬寺に似た冷厳な山寺の雰囲気を感じました。義経が幼少期を過ごした鞍馬寺と最期を迎えた中尊寺。。なんとも歴史の重みを感じました。

ようやくたどり着いた金色堂はコンクリートの覆堂の中、さらにガラスケース越しに鎮座。思ったより小さい一辺約5.5メートルの正方形の建物に金箔・螺鈿・蒔絵が施された平安の傑作。藤原4代のミイラが今も眠っているというのに、ガラス越しの距離感が感動を少し遠ざけているような。。。
その脇道には、苔むした石畳の脇に芭蕉翁句碑が立っており「五月雨の降り残してや光堂」と、芭蕉がここに立って詠んだ句、三百余年を経て、自分が同じ場所に立っているそれだけで十分感慨深かったです。

旧覆堂は室町時代の建物がそのまま残り、こちらの方が野趣があり、この場所で平安の栄華が終わったことは紛れもない史実。
世界遺産の割に周囲は素朴で、平日は閑散としていました。
ただ帰り道、駐車場の自販機で買ったサンガリアの「ふって飲むプリン」。お土産に何本か買って帰ればよかったと後悔するほど美味しかったです。

「夏草や兵どもが夢の跡」はそのまま現代の平泉にも当てはまる気がしました。
一ノ関に戻り、やまびこで大宮へ。5日間の旅が静かに幕を閉じました。
総括 ― 大人の休日倶楽部パスは、最高の相棒でした
5日間、日帰りで新潟・青森・上山・鳴子・平泉を巡る旅。結論から言えば、大成功でした。
改めて、このスタイルの良かった点をまとめておきます。
まず、費用対効果が抜群。乗り放題パスを日帰りで使い倒したので、新幹線代だけでも通常運賃を大きく上回る「元」が取れました。宿代がかからないぶん、現地でのグルメや温泉に、気持ちよくお金を回せたのもよかったですね。
次に、体への負担が軽い。毎晩自宅の布団で眠り、翌朝しっかり疲れをリセットして出発できる。連泊で荷物を抱えて移動する旅とは、疲労の質がまるで違いました。65歳のスタートにふさわしい、無理のない旅の形だったと思います。
そして、大宮という立地の強さを、あらためて実感しました。東北・上越方面へ一本で飛び出せるこの街は、日帰り旅の拠点として、本当に恵まれています。
さて、次はどこへ行きましょうか
すっかり味をしめた僕は、もう次のパス利用期間の計画を練り始めています。次は銀山温泉と蔵王温泉あたりを軸に、また大宮からの日帰りで攻めてみようかと思案中。あの大正ロマン漂う銀山の街並みも、蔵王のスケールの大きな湯も、想像するだけでワクワクが止まりません。
65歳から始まった、僕の日帰り温泉グルメ旅。これはきっと、この先ずっと楽しめる、最高の趣味になりそうです。人生、まだまだこれから。また報告しますね。

65歳、大人の休日倶楽部パスで日帰り温泉グルメ旅を始めました(前編)
2026年7月11日 21:35きっかけは「65歳」という、ちょっと嬉しい節目
先日、めでたく(?)65歳になりました。数字だけ見ると「うわ、ついに来たか」と少しばかり身構えそうになりますが、正直なところ、僕はあまりピンときていません。気持ちのほうは、まだまだ現役の好奇心でいっぱいなのです。
とはいえ、歳を重ねるのも悪いことばかりではありません。世の中には「65歳になって初めて手が届くもの」がいくつかあって、その筆頭が JR東日本の「大人の休日倶楽部ジパング」 です。
満65歳から入会できて、JR線が片道・往復・連続で201km以上ならおおむね30%引き。しかも年に何回か「大人の休日倶楽部パス」という乗り放題の期間まで用意されているというではありませんか。
以前からうすうす存在は知っていたのですが、いざ自分が対象年齢になってみると、「これはもう、入らない理由がないぞ」と、むしろワクワクしてきてしまいました。
というわけで、誕生日を過ぎてすぐにジパングカードを申し込みました。
カードが届くまでの間いろいろとウエブを眺めてみたら、なんと翌週がちょうど第一回目のパス利用期間だというではありませんか!「これはもう、天からの『さあ行ってこい』というお告げに違いない」と勝手に解釈して、翌週カードが届くなり、速攻で申し込みました。
思い立ったが吉日、善は急げ、です。この「まず動いてみる」フットワークだけは、若い頃からのモットーです。
我が家は大宮。さて、どう使い倒しましょうか
僕の住まいは埼玉・大宮です。新幹線の停車駅としては全国屈指の便利さで、東北・上越・北陸方面へひとっ飛び。上野どころか、東京駅まで出る必要すらありません。これは日帰り旅を組むうえで、大きな特権です。
5日間乗り放題のパスを手にして、まず考えたのは「どういう旅にするか」でした。選択肢は大きく二つ。
ひとつは、宿を取って泊まりがけで北へ北へと足を伸ばす王道スタイル。もうひとつは、大宮を起点に、日帰りで往復するという、ちょっと変わったスタイル。
さんざん迷った末、僕が選んだのは後者でした。理由はいくつかあります。
まず、宿の手配も連泊の荷造りもいりません。身軽なリュックひとつで、朝出て夜帰る。翌朝はまた、自宅の布団から気持ちよくスタートできる。この「毎晩ちゃんと我が家に帰れる安心感」、これが存外に大きいのです。家族と普通に夕飯を囲めますし、生活リズムも崩れません。
そして何より、大宮という立地なら、日帰りでも驚くほど遠くまで行けるのです。新幹線の速さを味わい尽くすなら、むしろ日帰りのほうが「移動そのものを楽しむ」乗り鉄デビュー魂に火がつきます。「これはなかなか賢い作戦じゃないか」と、一人でニヤニヤしてしまいました。

テーマは「駅近グルメ」と「駅近温泉」の二本柱
旅の中身は、シンプルにこう決めました。現地の駅から歩いて行けるグルメと温泉。これだけです。
欲張って観光名所を詰め込みすぎると、日帰りでは移動と観覧でヘトヘトになってしまいます。せっかくの休日に疲れて帰ってきては、本末転倒もいいところ。だから思い切って、「その土地の美味いものを食べて、いい湯に浸かって、車内で缶ビールを開けてほろ酔いで新幹線に揺られて帰る」という、ゆるやかな一本道に絞りました。駅から近ければ、猛暑でも雨でも動きやすいですしね。
年齢を言い訳にするつもりはさらさらありませんが、無理をしないのも長く楽しむコツだと思うのです。
計画づくりは、最近の相棒「AI」と一緒に
ここで、最近の僕の頼れる相棒、生成AIの登場です。「65歳でも新しもの好き」を自認する身としては、こういう便利な道具はどんどん使い倒したい。
行き先の候補を並べて、「大宮起点・日帰り・駅近グルメと温泉」という条件を投げると、移動時間や乗り継ぎ、現地の滞在可能時間まで含めて、実に使えるたたき台を出してくれるのです。
さすがにAIも完璧ではないので、出てきた案は必ず時刻表や公式サイトで裏を取り修正します。
それでも、ゼロからあれこれ日程組むより圧倒的に速い。骨格をAIと詰めて、あとは自分の好みで肉付けしていく。この作業自体が、旅行前のいちばん心躍る時間だったりします。
そうして出来上がったのが、東北・上越をぐるりと味わう5日間の日帰り連続プラン。前編では、まず最初の2日間をご紹介します。

【1日目】新潟 ― まずは肩慣らしの上越新幹線
記念すべき初日は、福島の磐梯熱海温泉を予定していたのですが、朝方東北方面で地震がありました。
ひとまず大宮駅の新幹線改札まで行ってみたところ、案の定、東北新幹線は運休。
出張の方々、キャリーバッグを引いて来られた小旅行のグループの面々、多くの方々が足止めとなっていました。
この日は平日ということもあって僕はあえて指定券をとっていませんでしたので、フリーパスの醍醐味、その状況に即した気まま旅ということで上越新幹線ホームに駆け上がり、そのまま終点の新潟へ。
大宮から新潟まで、たったの1時間半ちょっとです。あっという間ですね。もう胸がそわそわしてきます。
ホームで買った缶コーヒーを片手に新幹線へ乗り込めば、旅はすでに始まっているのです。
大宮を出てしばらくすると、車窓は一気に緑が濃くなります。越後湯沢を過ぎて長いトンネルを抜けると、あの有名な「国境の長いトンネルを抜けると雪国」の逆コース。梅雨のこの時期は、雪の代わりに青々とした越後平野が地平線まで広がっていて、これがまた壮観なんです。田んぼの緑があまりに鮮やかで、僕はすっかり車窓に見入ってしまいました。何歳になっても、こういう景色にいちいち感動できる自分でいたいものです。
新潟駅に着いたら、まずは腹ごしらえ。実はここ、事前にAIが「新潟に行くならこれを食べないと」と太鼓判を押してくれた一杯がありまして。
向かった先は、なんとバスセンター。その一角にある立ち食いそば屋さんの名物が、そば……ではなく、カレーライスなんです。ちょっと変わっているでしょう? でも、これが地元で長年愛され続けている、知る人ぞ知るソウルフードなのだとか。券売機で食券を買って、カウンターで受け
取る。昔ながらの、飾らない一杯です。ひと口食べれば、なるほど納得。どこか懐かしくて、するするお腹に収まっていく美味しさ。


カレーでお腹を満たしたら、腹ごなしにと向かったのは、新潟日報社の展望台。
ビルの上から新潟の街をぐるりと一望できると聞いて、これは行かねばと足を運びました。
エレベーターで上がって窓辺に立つと、眼下には悠々と流れる信濃川。日本一の大河が街の真ん中をゆったりと貫き、その両岸に、実に整然と区画された市街地が広がっています。
この整った町並みを眺めていると、かつてこの地から出た大物政治家の面影が、否応なく浮かんできます。「日本列島改造論」を掲げ、故郷・新潟に道路や新幹線を引き込んだ、あの人物です。
功罪はいろいろと語られるところですが、こうして上から街を俯瞰すると、一人の政治家の意志と力が、これほどまでに土地の姿を変えるものかと、あらためて実感させられ、当時の権勢が急に立体的に立ち上がってくるようで、しばし窓辺から離れられませんでした。

さて、新潟の街を堪能したあとは、少し足を延ばして燕三条へ。ここは言わずと知れた、金属加工とものづくりの町です。家電メーカーの調達畑を長年歩いてきた僕としては、どうしても素通りできない場所です。
新幹線の改札を出てすぐの売店には、地元自慢の銀食器やカトラリーがずらりと並んでいて、その仕上げの美しさに、ついつい見入ってしまいました。職人技の光るスプーン一本にも、この土地の底力が宿っている。眺めているだけで、心が躍ります。

……と、真剣に品定めをしていたら、なぜかその売店の一角に、あのバスターミナルカレーのレトルトが鎮座しているではありませんか。
銀食器とカレー、この取り合わせには思わず笑ってしまいましたが、これも何かの縁。
結局、この日のお土産は、燕三条の売店で買ったバスターミナルカレーに決定と相成りました。旅というのは、こういう予想外のオチがあるから面白いのです。

初日ということもあり、あまり無理はせず、夕方の新幹線で大宮へ。帰りの車内で、駅で買った笹団子をつまみながら「この調子で5日間、体力がもつかなあ」と少しだけ心配になりましたが、まあ、なんとかなるでしょう。
体力にはそこそこ自信があるのです。ほろ酔いの頭は、いつだって楽観的なものですね。
【2日目】青森 ― 日帰りとは思えない、まさかの大遠征
2日目は、いよいよ本領発揮。大宮から新青森まで、東北新幹線で一気に北上です。所要はおよそ3時間。「えっ、それを日帰りで?」と自分でも思いますが、はやぶさの速さをもってすれば、朝出て夕方帰るのは十分に現実的なのです。むしろ、この長い乗車時間こそ、僕にとっては最高のご褒美。景色はどんどん北国のそれへと変わっていきます。
宇都宮、福島、仙台、盛岡と、なじみ深い駅名を次々に通過。盛岡を過ぎて八戸へ向かうあたりから、空気が変わる感じがします。トンネルも増えて、「いよいよ本州の北の果てに近づいてきたぞ」と、少年のように胸が高鳴りました。
新青森で在来線に乗り換えるのですが、この新青森駅、降りてみると想像以上に郊外の駅でした。「あれ、青森の玄関口なのに、なんだかのどかだぞ」と。
なぜ新幹線は市街地の青森駅ではなく、ここに来たのか。あとで調べてみると、青森駅は行き止まり式のスイッチバック構造で高速列車には不向きなこと、そして市街地では用地の確保が難しかったこと、この二つが理由だとか。なるほど、新横浜や新神戸とまったく同じパターンですね。こういう「なぜ?」を放っておけず、つい調べてしまうのは、僕の昔からの癖なのです。
あいにくの雨模様でしたが、どうしても海が見たくなって、奥羽本線で青森駅へ移動。乗ってみればわずか6分の小旅行です。当初は駅直結の商業ビルの地下で昼食を、と思っていたのですが、たまたまふらりと入った市街地の小料理屋さん「あおもり呑み食い処 灯」で、これがもう、絶品の海鮮丼にありついてしまいました。
海老、ホタテ、いくら、蟹、白身魚が全部どんと乗った豪華な一杯。しかも観光地価格ではなく、2,150円ときたものです。これ、東京で食べたら間違いなく5,000円はする代物ですよ。青森の海の豊かさを、舌でまざまざと実感しました。地元の方いわく、津軽海峡は太平洋と日本海の両方から魚が集まってくるのだそうです。大間のマグロが名物なのも、この恵まれた地理的条件があってこそ。なるほど、と深く納得したのでした。

食後は、小雨のなか青森湾岸をぶらり散歩。昭和の港町という風情が漂っていて、正直、どこか寂れた感じもあります。ここはかつて、青函連絡船の発着で大いに賑わった北の玄関口。それが1988年の青函トンネル開通で人の流れが一変し、その残影が今も静かに漂っているのでした。石川さゆりさんが「津軽海峡冬景色」を歌ったあの頃は、それはそれは賑わっていたことでしょう。歌の情景を思い浮かべながら歩くと、雨の港町がまた違って見えてきます。

帰り道、駅で北海道新聞を一部購入(旅先で地元紙を買うのが、これまた僕の小さな楽しみなんです)。新青森駅の土産物館では、りんご、田酒、ほたての燻製などをあれこれ物色して、はやぶさ6号で大宮へ。18時02分、無事帰着です。
雨の青森、寂れた港町の風情は、正直に言えば僕の好みど真ん中ではありません。でも、だからこそ、かえって「ああ、旅をしているなあ」という実感を、しみじみ与えてくれた一日でした。晴れた観光地ばかりが旅じゃない。そう思わせてくれる青森に、僕はすっかり感謝したのでした。
帰りのはやぶさに乗り込んで、缶ビールを一本。窓の外はゆっくり日が暮れていき、通り過ぎる街の灯りがなんとも綺麗でした。「今日は本州を縦断したんだなあ」としみじみ。3時間の帰り道も、旅の一部だと思えば、少しも苦になりません。むしろこの静かな時間こそ、一日の締めくくりにぴったりなのでした。
前編のまとめ ― 日帰り作戦、大成功です
初日の新潟で肩を慣らし、2日目の青森でいきなり大遠征。それでも毎晩、自宅の布団で眠れるというのは、やっぱり最高でした。翌朝きちんと疲れをリセットして、また新しい行き先へ出発できる。この身軽さこそ、大宮起点・日帰りスタイルの真骨頂だと確信しました。
そして、AIと詰めた計画がしっかり機能してくれたのも嬉しいところ。無理のない乗り継ぎ、駅近に絞ったグルメと温泉。おかげで「疲れに行く旅」ではなく、「元気をもらいに行く旅」になりました。
後編では、3日目以降――かみのやま温泉、鳴子温泉、そして平泉をご紹介します。実はこの中に、この旅いちばんの「まさか!」が待っていました。とある温泉地で、思いもよらない出会いがあったのです。どうぞお楽しみに。
(後編へつづく)

MacBook Pro 14インチ M3(今更)に乗り換えて感じたこと ― 仕事道具としての進化
2025年10月23日 11:41先日、2年間使ってきたMacBook Pro 13インチ(M2)から、14インチ(M3)に乗り換えました。
普段の買い物で訪れたコストコに、型落ちのM3が現品処分価格で出ており、当初は買うつもりもありませんでした。
ですが一度店を出たあと、「あの14インチ(M3)は、型落ち展示品といえども滅多に出会えない掘り出し物。今のM2を下取りに出せば差し引き数万円で手に入る。このチャンスは逃せない」と考え直し、引き返して購入。
結果として、この判断は大正解でした。

購入して約半月経った実感として、ものとしての佇まい、質感、そして使ったときの安心感。どれを取っても14インチの方が格段に上です。
少し前まではお値段の張るProモデルは全く視野になく「あと2〜3年はPro13インチを使って、次は持ち運びが楽なAirかな?」と思っていました。
しかしPro14インチを購入した後で、お店でAirを触ってみると、どうしてもProの質感と比べて“軽さ=簡素さ”を感じてしまいます。
最も軽いAir13インチとの重さの差は、言ってみればわずか300グラム。
持ち運びのデメリットよりも、使っている時間の心地よさが勝ちました。
14インチのM3モデルは、発色が柔らかく目に優しい。
13インチM2はややコントラストが強く、長時間の作業では疲れが出やすかったのですが、このM3 14インチLiquid Retina XDRディスプレイは、光のあたり方が自然で、オフィスでもカフェでも作業が続けられます。
仕事柄、一日中画面を見続ける僕には、この“やわらかい
表示”が何よりうれしい変化でした。
疲れないキーボード
キーボードも確実に進化しました。
M2モデルの軽やかさに比べ、M3は打鍵にわずかな深みがあり、指先にしっかりとした反応が返ってきます。
この違いが、文章作成のテンポを整えてくれて、使っていて楽しさすら感じますし、
長時間打っても手首が疲れにくく、まさに「仕事道具」として信頼できる感触です。
納得の重量増
重量は今まで使っていたPro13インチより150グラム増えましたが、ディスプレイとキーボードの質向上を考えれば納得です。
むしろ、軽量モデルは使い勝手や耐久性のどこかを削ぎ落とした結果だと感じるほど。
バッテリーも一日の作業を余裕でこなせるため、ACアダプタを持ち歩かなくなりました。
さらにiPhoneなどへの給電もできるので、モバイルバッテリーも不要に。
また、細かいところではHDMIスロット内蔵なので、今までプレゼン用に持ち歩いていたアダプターも必要なくなりました。
よってもって、結果的に移動時のバッグの総重量はほとんど変わっていません。

チップの進化よりも、完成された道具としての価値
今回購入したPro14インチのスペックはメモリ8GB、ストレージ512GB。
いわゆる素モデルです。
とくに8GBのメモリについてはネガティブな意見もある中で、動画編集などの重い作業をしない僕にとっては、この構成で十分でした。
Macのユニファイドメモリは、CPU・GPU・機械学習エンジンが同じメモリを共有して使う仕組みです。
つまりWindowsのようにメモリが処理ごとにCPU・GPU・機械学習エンジンとデータを行き来させる必要がないので効率が非常に高く、8GBでも実際の使用感はWindowsの16GBに近いと感じます。
現在、MacBook ProはM5チップ搭載モデルまで進化しましたが、チップの性
能差以上に、ノートパソコンとしての完成度はすでにM3の段階で極まっていると感じます。
発色、キーボード、静けさ、持ち運びやすさ——これらの要素が調和して、使う人の仕事のリズムを支えてくれる。
Appleが積み重ねてきた「道具としての哲学」が、ようやく熟成の域に達したという印象です。
僕はそれこそPowerBookがモノクロだった時代からさまざまなMacを使い続けてきましたが、
このMacBook Pro 14インチ(M3)は、僕にとってその集大成のような存在だと思いました。
チップの速さよりも、手にしたときの安心感、開いた瞬間の静けさ、そして仕事に向かう気持ちの整い方。
それこそが、長年使い続けてきた僕にとっての“最高のプロダクト”だと思います。
仕事を支える道具は、数字よりも感覚で選びたい。
このMacBook Pro 14インチ(M3)は、その思いを再確認させてくれる一台です。

スマホから紙の新聞に回帰
2025年6月24日 15:41“>
■ 若い頃から朝日新聞一辺倒
僕が大学時代(1980年代)、自宅最寄り駅の入り口に「新聞自動販売機」というものがありました。
確か1部50円だったと記憶していますが、毎朝この機械にコインを投入し、回転ハンドルを回して取り出した新聞を、電車内で4つ折りにして読みながら大学に通う──そんな“朝の儀式”で一日が始まったのを鮮明に覚えています。
1981年のアメリカの原子力空母「エンタープライズ」の佐世保入港阻止運動、北炭夕張炭鉱のガス突出事故など、戦後の残り香を感じさせるような事件が多く、当時の新聞記事も舌鋒鋭く、読みごたえがありました。
その頃読んでいたのは朝日新聞。やはり当時の学生は、どこか世の中を斜めに見る、一歩引いて見る──簡単に言えば“左寄り”の感覚を持っていたのだと思います。
その後、社会人になっても十数年にわたり朝日新聞を読み続けました。
■ デジタル新聞の登場
それから時が流れ、今から16〜17年ほど前、新聞の読み方に大きな革命が起きました。
そうです、iPhoneの登場です。
登場したばかりのiPhoneは、カメラも付いていましたが画質はおまけ程度。インターネットにはつながるものの、PCには及ばず、キーボードもなく、少し画面が大きい“変わり種のケータイ”という立ち位置。いわば新しもの好き向けのガジェットでした。
そんな中、まず産経新聞がiPhone向けに紙面をそのまま読める無料のアプリを出したのは、かなり画期的でした。
ただ、当時のiPhone 3Gの画面サイズはわずか3.5インチ。新聞紙面を読むには拡大・縮小を繰り返さねばならず、かなり苦労したものです。
その後、朝日新聞デジタルや日経新聞電子版がスマホに最適化されたレイアウトで登場。これが、初期の“スマホ向け新聞”の草分けだったと思います。
ちょうどその頃、僕は中国に赴任しており、現地で日本の新聞を購読すると1ヶ月1万円以上、しかも日本版より1日遅れの配達でした。そんな中、デジタル新聞は日本と同じタイミング・同じ価格で読めるという点で、海外赴任者にとってはまさに革命的でした。
当時の日本の情報源といえば短波ラジオ程度だったので、スマホ1台で最新記事が読めるありがたさは計り知れません。
日本に帰国後も、朝日新聞デジタルと日経電子版を併読するスタイルが長く続きました。
そしてここ最近はコスパを重視し、他誌よりコスパに優れた「毎日新聞デジタル」と「日経電子版」を半額キャンペーンで購読していました。

■ 紙への回帰と中庸さに惹かれ
ただ最近、サラリーマン生活を卒業した自分が「そもそも新聞をスマホで読む必要があるのか?」と気づきました。
満員電車の中ならともかく、自宅のリビングでスマホの小さな画面を凝視するのは、どこか疲れる行為。情報を“読む”というより“追う”だけになっていた気もします。
そこで、紙の新聞をまた取ってみようかと考え始めました。
現在購読している「毎日新聞デジタル」は、僕には少し話題の幅が狭く感じられ、「日経新聞電子版」は相変わらず記事の質は高いものの、経済・金融中心の記事は今の自分の生活からは少し遠く感じるようになりました。
「どうせなら朝刊と夕刊をじっくり読みたい」と思い、ここ1ヶ月は近所の図書館に通って各紙を読み比べました。
まずは長年親しんできた「朝日新聞」。
リベラルな視点や環境・人権問題への関心は健在で魅力的でしたが、理想を語る記事が多く、若い頃にはすっと入ってきた論調も、今の自分には少し距離があるように感じました。
「産経新聞」はややもすると国粋主義的な傾向を感じ、「東京新聞」は守備範囲が狭く、少し物足りませんでした。
そして、これまで縁のなかった「読売新聞」。
若い頃はリベラル志向で避けていたのですが、読んでみると政治・経済・生活・スポーツとバランスよく、論調も穏当。
読みごたえもあり、肩の力を抜いて読める紙面構成が気に入りました。
結果として、今の自分に最もしっくりきたのが読売新聞でした。
時とともに、自分の感覚も少しずつ変化してきたのかもしれません。
ということで、来月から紙の読売新聞を取ることに決めました。
スマホでは得られない、紙をめくる感覚と余白のある情報体験。 毎朝の時間が、少しだけ楽しみになりそうです。

ハチロクと過ごした、ひとりの週末
2025年5月25日 14:03僕が会社に入ってまだ数年、26歳のときの話です。
なぜか衝動的に、トヨタのディーラーに飛び込んでしまいまして……。
勢いで買ってしまったクルマ。
いわゆる“ハチロク”と呼ばれるクルマです。

コミックなんかでも有名になりましたが、当時は単なる大衆車のスポーティーバージョンというステータスで、“ハチロク”という名称は一部のカーマニアのみぞ知る名前でした。
僕が選んだのは、ノッチバックのGT。
ファブリックシートに鉄ホイール、エアコンもなし。
見た目も装備も、なんてことないんですが、
中身は上位モデルと同じエンジン(4AG)を積んでいて──
いわゆる“通好み”のやつでした。
何より、このクルマには「これから手を入れていく楽しみ」がありました。
ボーナスが入るたびに、ちょっとずつパーツを変えていく。
ステアリングはイタルボランテに、タイヤは当時の扁平スポーツタイヤ185/60のブリジストンV-GRID、ホイールはBBSに。
洗車は手洗い、セーム革で丁寧に水滴を拭き取ったあとは、シュアラスターワックスで仕上げ。
今思えば、そうやって手をかけていく時間そのものが、
なんだか愛着につながっていたように思います。
夜の海へ、ひとりで向かう時間
週末の深夜になると、急に海が見たくなって、
実家のあった埼玉から、大洗の海までクルマを走らせてました。
正確なルートはもう忘れてしまいましたが、国道125号を東に走って、4号線に入って水戸を抜けて──
3時間くらいの、ちょっとした深夜ドライブでした。
車内ではAORのカセットを流して、ひとりきり。
途中のコンビニで缶コーヒーを飲んでいると、同じような年格好のハチロクオーナーに声をかけられることもありました。
「僕のクルマと同じですね」なんて。
たいていはGT-APEXのオーナーでしたけどね。
当時の僕は、毎日が忙しくて、余裕もなかった。
だからこそ、週末だけはこうして、
静かな海を眺める時間がなによりのリセットになっていました。
峠道をのんびり走るだけでも
日曜の午後には、峠道にふらっと出かけることもありました。
国道17号を北上して、高崎から国道18号旧道を登って碓氷峠へ。
あの道は昔から人気があって、五木寛之の小説などにも登場する走り屋の聖地です。
ハチロクの1600cc/130馬力という動力性能は、とてもじゃいけどスポーツカーのそれではありません。
車重が1tで、後輪駆動(FR)、挙動はクイックではあるものの、流石に碓氷峠では苦しそうなエンジン音。
ご多分に漏れず、後ろから国産スポーツの王道フェアレディZ、筋金入りの走り屋御用達180SXなんかに煽られる洗礼を受けました(苦笑)。
僕はといえば、ただのんびり走りたいだけ。
なので、速いクルマが来たら素直に道を譲って、エスケープゾーンにクルマを停めて、当時は喫煙者だった僕は、マイルドセブンかなんかをふかしていました。
あの峠の風の気持ちよさには、ボビー・コールドウェルの「風のシルエット」がバッチリ合うんですよ。カセットで聴いてました。
軽井沢まで行くと、空気ががらりと変わって、ひんやりしていて気持ちがいい。
そこでも缶コーヒーを片手に、木陰でぼーっとする時間が、なんとも贅沢に感じました。
クルマは、寄り添ってくれる相棒だった
こういう話をすると、ドライブの思い出って
女の子とのエピソードが出てきそうなものですが、
当時の僕はずっとひとり。
誰かと過ごすより、クルマと向き合っていた方が落ち着きました。
なので、婚期も少し遅れました(苦笑)。
平日は余裕もなくて、気持ちが張りつめていたぶん、
週末は少しでも素に戻れる時間が欲しかったんだと思います。
ハチロクは、そんな自分にちょうどいい距離感で寄り添ってくれる相棒でした。
振り返ってみると、
あの頃の僕にとってクルマは、“心の整え方”を教えてくれた存在だったのかもしれません。
あの頃の自分に
もし今、あの頃の自分に出会ったなら、
「スモーキークォーツ」という天然石をプレゼントしたいです。

派手さはないけど、落ち着いた色で、どこか芯のある静けさがあって。
大洗の海や、峠の空気に、どこか似ている気がします。
あの週末のドライブこそが、“心をととのえる時間”だったと、素直にそう思えます。
そして、いまの自分はあのときとは違う形で、また「静かな時間」と向き合っているのかもしれません。