凄まじかったNokiaの勢い
iPhone登場前の携帯電話業界。日本ではシャープ、富士通、ソニー、パナソニックなど、日本メーカー百花繚乱。海外ではNokia、モトローラが二大勢力でした。
僕が深圳に赴任していた2000年代の半ば、中国で携帯といえばその大半はフィンランドのNokia製でした。
内陸の田舎から出てきた工場勤務の女の子たちがまず最初に買う電気製品、それがNokiaのモノクロ端末。機能は通話とショートメッセージだけのごくごくシンプルな携帯電話。お値段は日本円で1万5千円(千人民元)程度だったと思います。
お給料1ヶ月分(日本円で約1万円)と毎日の残業代加算分くらいだったでしょうか。
通話料は町中の便利店(コンビニ)や雑貨屋で売っている各電話会社(中国では中国移動、中国連通、中国電信という3大移動電話会社があります)のプリペイドカード(充値カード)を購入。
カードのスクラッチ箇所をコインで擦って、そこに記されたPINコードをサイビスダイヤルに電話をかけて打ち込むのです。
だいたい50元(当時のレートで750円)くらいを一ヶ月で使うという感じだったのではないでしょうか。遠く離れた故郷との通話は通話料の安い町中の電話ボックス(雑貨屋さんの軒先に設置された
公衆電話)からかけるのが一般的で、何処に行っても通話待ちの行列ができている光景を見ました。
また、出張で飛行機を使って上海へよく出かけましたが、目的地の上海虹橋空港についた途端。皆一斉に携帯のスイッチをオンにするので、機内のあちらこちらで、あの独特の
`ちゃららんちゃん、、ちゃららんちゃ〜〜〜ん’という携帯着信音(Nokiaトーン)が鳴り響いていたものです。
スマートフォンの元祖(N73)
iPhoneが登場し爆発的なヒットとなる2010年頃までの数年間、Nokia携帯がいわゆるスマートフォンと呼ばれていた時代がありました。
その先駆けとなったのがN73でした。いわゆる普通のストレートボディなので、画面はたったの2.4インチ。今のiPhoneには比べようもない小ささでした。
その頃の携帯電話としては画期的なSymbian OSを搭載し、追加で様々なアプリがインストールできました。カメラも300万画素で当時のデジカメに比類するきれいな写真が撮れました。
文字はテンキーで打つので少々慣れが必要。それでも、深圳の足按摩などで按摩椅子にくつろぎながら、ミクシィとかによく書き込んだものです。
Nokiaのスマートフォンの頂点(N95)
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2008年、カールツァイスレンズ、500万画素カメラを搭載した後継モデル、N95はiPhoneの爆発的ヒット前夜に一瞬輝いたスマートフォンだったと思います。 -
- 画面はN73よりちょっと大きくなりましたがそれでも僅か2.6インチ。
- 当時の携帯のモニタとしては大きい方でした。
- このモデルを確か深圳のガジェットショップで購入したと思います。
N95をゲットして、ほぼデジカメは持ち歩かなくなりました。
その後、同年発表されたiPhone3Gは日本のソフトバンクショップで購入したのですが、機能的にはiPhoneは、まだまだ発展途上。特にカメラ性能はN95の比ではありませんでした。
なのでiPhone3GとN95、常に2台持ち歩きでした。
iPhoneの登場とNokiaの衰退
iPhoneも初代(2G),3G,3GSあたりまではマニアが使う携帯でした。
一般的な携帯に慣れた人々にとっては、着信メールのランプがない。ストラップホールがな い。何よりテンキーがないなど、その奇妙な操作性がなかなか受け入れらなかったのです。
2010年のiPhone4あたりから一気に世界中の携帯電話市場を席巻。
歴史的な大ヒットとなりました。
暫くN95とiPhoneを2台持ちしていた僕も、iPhone4Sの頃からはiPhoneだけを
持ち歩くようになりました。
iPhoneとAndroid激闘のさなか、それでもNokiaはSymbianOSに固執し、機能的にもビ ジネス的にも、明らかにそれらの後塵を拝するようになると、何故かWindows Phoneなど という勝ち目のない端末を発売するなどの経営判断ミスも重なって、遂には携帯電話端末事 業から撤退してしまいました。現在のNokiaは通信インフラの会社ですね。
それは、2010年代半ばに起きた、オセロゲームのコーナー一発逆転。
それまで圧倒的に黒優勢だったボードが、一瞬にして白一色にひっくり返ったが如くの状況 を見る思いでした。
ジョブズの宣言通り、アップルが「携帯電話を再定義」してしまった瞬間だったと思います。